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小説 「僕と彼らの裏話」 28

28.癒しの技

※警告!!:主人公の「希死念慮」に関する描写が含まれます。


 後日、約束どおり哲朗さんが訪ねてきた。
 今回は、僕の家に泊まることを、正直に ご家族に告げてきたという。

 既に夕食を済ませてきた彼は、ダンボール箱だらけの居間や寝室を見渡しながら言った。
「おやおや。随分と……すっきりしましたね」
「調子が良い時に、さっさと片付けてしまったほうが……後が楽なので」
「なるほど」
「パソコンさえ出ていれば……退屈は、しません」
「確かに、そうです」
彼は眠そうだけれど、笑い方は柔らかい。


 彼は、今日も「熟睡するために」この家に来たのである。僕は、早々と布団を敷いてしまう。
 彼は、相変わらずタブレット端末でのスケジュール管理やメールチェックに忙しい。
「本当に、恐れ入ります……。自分の家だと……一晩中『狸寝入り』みたいなもので……」
「悟くんは、相変わらずの『ショートスリーパー』ですか?」
「ですね……。自分の寝床で、朝まで大人しくしていられるようにはなりましたが……本当に眠っているのは、3時間くらいだと思いますよ」
悟くんの寝床は、両親の寝室内に張られたテントの中にある。(写真を見せてもらったことがある。)本人が好む青色のテントの中は、非常に重要な【安全基地】である。他の家族と距離を置いて、パニックを誘発する光や 他の視覚的な刺激を遮り、頭を冷やす場所なのだ。彼が そこに居る時、父親以外の家族は極力 近寄らない。パニック状態の彼は、基本的に父親以外の人物を受け容れないからである。
 彼は新生児の頃から「とにかく寝ない」として両親を困らせてきたけれど、今も「他の人間が入ってこない、自分だけの場所」を確保してやらないと、眠らないのだという。
「私自身は『ロングスリーパー』なものですから……なかなか、辛いものがあります」
 悟くんが もし夜中にテントから抜け出したら、父親を踏みつけないと他の部屋に行けないような位置に、哲朗さんの布団を敷くという。(息子が起き出したことに、嫌でも気付くようにするための位置どりである。)
「あいつは……本当に、独り言が多いので……私達が寝ている横でも、ずっと、独りで何かしら喋っています」
 しかし、誰一人として眠剤に頼っていない ご家庭である。


 布団を敷き終えた僕は、彼の隣で、改まって正座をする。
「あの……お疲れのところ、大変申し上げにくいのですが……すごく、馬鹿げた話をしても、良いですか……?」
「何でしょう?」
「先日の……『熱中症』の件なのですが……」
彼は、目で応える。
「僕は……彼女が見ている前で、電車に飛び込みそうになりました……」
「……暑さで ふらついたのではなく、ですか?」
 僕は、あの日、駅で何を見て、どういう感覚に陥ったか……身体を震わせながら、全てを白状した。彼はタブレット端末をリュックに しまい、僕の話に、熱心に耳を傾けてくれる。
 駅で奇行に及んだ当日のことを ひとしきり話した後、僕は、自分の眼に涙が滲んでくるのを感じていた。
「悠介さんが……ネット上で『晒し者』になっているのを、見てから…………昔、自分が晒された時のことが……ずっと……!」
息が あがってくる。
 彼は、至極 落ち着いた様子で「頻繁に、フラッシュバックがあるのでしょう?」と問い、僕は「はい」と答える。
「それで、休職されて……症状が落ち着いたからこそ、復職されたのでしょう?」
「そうなのですが……先日、また……あろうことか、彼女の前で……!」
頭を抱えそうになる僕の両手を、彼はしっかりと握った。
「落ち着いてください。……千秋さんは、坂元さんの ご病気のことを、ご存知なのでしょう?」
「し、知ってます……」
「それを踏まえた上で、ご結婚の約束をなさったのでしょう?」
「そうです……!」
「だったら……何も、恐れることは無いでしょう」
僕は、震えが止まらない。
「僕が……女性と、交際して……婚姻することについて……嗤う集団が居て……」
「どこに、ですか?」
「あ、頭の中で……集団の、嗤い声が……」
「それは【幻聴】ではありませんか?」
「そ、そ、そうだとは、思うのですが……それが……【現実】としか、思えない瞬間が在って……」
「それは【妄想】というものです。貴方も、よく ご存知のはずです。……吉岡先生が幻聴について話される時、貴方は、どう応えますか?」
「……僕が聴いている声は『過去の記憶』ではありません。リアルタイムで、嗤われているのです。スマホを持った連中に……!」
「ですが、それは『頭の中』の お話なのでしょう?」
「で、でも……事実として、世界じゅうの ほとんど全員が、スマホを持っているじゃないですか!!いつだって僕を監視して、僕に関する情報を、共有して、見られるでしょう!!?」
「技術的には可能かもしれませんが……ほとんどの人は自分の仕事に忙しいでしょうし、わざわざ貴方を選んで監視する『理由』が無いでしょう」
「僕が……僕が『変態』だからでしょう!!?」
「変態?……私は、そうは思いません。貴方ほど、生真面目で誠実な方は、そうそう居ない……」
「僕は……僕は『変質者』だから、今でも、ずっと……街じゅうの人に見張られていて……どこかで、何かをしたら……話したら……それが、ネット上にあげられて……話題になって、いずれ、テレビや、ラジオにまで……」
「私は、インターネットやテレビで貴方を見たことはありません」
それは、彼が常日頃「仕事しか しない」からだろう。
「僕なんかと一緒に居たら……彼女まで『晒し者』になります……!」
「なりません」
彼は、力を込めて断言する。
 真正面に座っていた彼は、僕の隣に移動して膝を着き、吉岡先生が泣いている時にするのと同じように、僕の肩や背中に触れる。(左手だけは、まだ握ってくれている。)悪い箇所を探るように、彼の右手が よく動く。
「僕は……すぐにでも、死ぬべきなんです!!こんな穢らわしい身体の、形を残さない方法で……!」
彼は、大きな音におののいて暴れそうになる 馬や牛を宥めるかのように、ゆっくり、大きく、背中全体を撫でてくれる。
「落ち着いてください。……貴方の、どこが『穢らわしい』のですか?」
「僕は……僕は【淫乱】で【猥褻わいせつ】な【下衆ゲス】なんです……!」
「それは……どこかに『書かれた』ことですか?」
「そうです……」
「そんなものは、無視してください。
 私は、貴方を『穢らわしい』とは思いません。……死んでしまわれたら、悲しいです。困ります。子ども達も、泣きます。きっと」
彼の手は、声は、力強くも、優しい。
 そして、身体への触れ方や力加減は、そこらのカウンセラーより、よほど巧い。
 心に引っかかっているもの【全て】を、吐き出してしまいたくなる。
「僕は、僕は、学校の教室で……エッチなギャグ漫画を描いてました……!」
「良いじゃないですか。趣味で漫画を描くくらい……。休憩時間に、でしょう?」
「だから、だから僕は『変態』と呼ばれることになって……!」
「…………私が過去に担当した作品にも、性的な描写はあります。それでも、私は のうのうと生きています」
(あぁ……そうか。世の中には『官能小説』というものが……)
「【作者の人格】と【作品】は、分けて考えなければなりません。……作中で人を死なせたら、書き手は皆『殺人に快楽を覚える異常者』ですか?……違うでしょう」
「違います……」
「それが解らないほど幼稚な連中に、踊らされては いけません」

「今の貴方が、お書きになるものは……素晴らしいではないですか。……決して、穢れてはいません」
 僕が吉岡先生のために書いた拙い小説を、初めて見せた相手は、彼である。
「私は……貴方の書くお話が、大好きです」
彼の口から言ってもらえたら、社交辞令だとしても涙が出る。最上級の誉れだ。自信と、勇気が湧いてくる。

 彼が、背中を さするのをやめた。
「落ち着いてきましたか?」
「は、はい……」
「お茶でも、お淹れしましょうか?」
「いいえ……。もう、薬を飲んで寝ようと思います……」
「その前に……少し、首周りを ほぐしたほうが良いですね。少々お待ちください」
 彼は、至極当たり前のように洗面所からタオルを持ってきて、それを僕の首にかけ、吉岡先生にするのと同じように、額を押さえながらの本格的な施術をしてくれた。
 彼に身体を預けていたら、薬を飲んでいないのに、眠くなってきた。
「哲朗さん。腕、痛くないですか……?」
「何ともないですよ。……ありがとうございます」

 僕は その日、普段の半分の眠剤で、朝まで眠ることが出来た。

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【29.ゲートキーパー】
https://note.com/mokkei4486/n/n8fd6009bdc6f

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