読書日記・流動的
1月14日(火)
日記について考える時間が増えている。私はこの「読書日記」をどう考えていて、どう続けていきたいのか、そういう答えみたいなものを探しているのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。とにかく日記って何だろうな、という素朴な疑問を抱いているのは確かっぽい。
つげ義春さんの『つげ義春日記』を読む。
人がたくさんいる場所に行くと気おくれすることが多々あるんだけど、つげさんも同じような思いを抱いていたんだと知って嬉しくなる。
大っぴらに触れ回るようなことではなくても、その時その時の感じたことを、こうして日記にして残していたとして、それを誰かが読んだ時に、あぁ自分も同じようなことを考えているなとか、こんな風に考える人っているんだとか、そんな風に思ってもらえることがあれば、それはとても幸せなことなんじゃないかなと、日記を書くことに対しての方向が定まる感じがした。けれどこの定まった気持ちが明日には消えている可能性もある。気持ちは流動的。忘れやすい私は特に流動的。
1月15日(水)
お正月にやっていたらしい『スロウトレイン』というドラマを見る。松たか子さんと、星野源さんと掛け合いがとてもよい。お二人とも、しれっとした顔をして怖いことを言ったりするから面白い。
松さん演じる長女・葉子が「あなたは本当の意味で孤独じゃないんだ」というようなことを言われるシーンがあって、孤独について考えてしまった。一人で生きている人にとって、たとえ伴侶がいなくても、親兄弟と暮らしているなら、それは孤独じゃないというような話なんだけど、確かに家族が一緒に暮らしていれば孤独ではないかもしれない。けれど孤独って、家族や友達がいても、それでも一人だと感じる瞬間のほうが辛いのではないかといった、ドラマ本編とは関係ないところで思考が展開していた。
考えは一向にまとまらないんだけど、とにかくドラマが面白かったので見てよかった。野木亜紀子さんの脚本はやっぱり面白いなー。
1月16日(木)
『漱石全集を買った日』を久しぶりに読み返す。私は古書を買ったこともないし、読んだこともないんだけど、山本善行さんと清水裕也さんの古書にまつわる話が、分からないながらも面白くてついつい再読してしまうのだった。
清水さんが読書するようになったのは、人生の問題にぶち当たった社会人の頃かららしく、本でも読んで勉強しないといけないと思ったのが読書を始めた理由だそう。
私も清水さんのように、自分の行動の指標になるものを求めて本を読み始めたところがあるので、この文章に共感しまくる。本の中に答えを求めていたからこそ、本に書いてあることを無条件に信じてしまっていたんだろうな。
医療は悪だから、自然治癒を目指そうとした時期まであるぐらい、本から得た知識が正解だと思い込んでいたことがある。今となってはアホだったなぁと思うけれど、仮にもしあのまま医療を信じられずに今も過ごしていたとしたら、病気になった母と犬に治療を受けさせることもせずに、二人は苦しんで亡くなっていたかもしれない、なんてことを考えると本当におそろしい。本の中に答えがあるんだと信じきって、本に依存してしまうのはとても危険。
ただ楽しいとか、面白いとか思いながら本を読みたい。ウダウダ考えてしまうことはあっても、本を読んでいれば幸せだと思えるような、そんな読書をいつもしていたい。そのためには惑わされない心が必要かもしれない。私は何を信じていくのか、自分がはっきりと理解していないので、情報に気持ちが左右されやすい。ここをどうにかしたいですな。