読書日記・私はのまれていたのだろうか
4月19日(水)
新しい靴を買ったのはいいのだけど、どうにもこうにも右足のくるぶしだけ痛い。よくよく見てみると、左足よりも右足のほうがくるぶしが突出していて、これが痛みの原因かも!!と思い夫に話したら、靴紐をきつく結んでいるのでは?と言われ、そういえばこれ以上ないってぐらいに固く結んでいたことを思い出し、靴紐をゆるめたら足の痛みがなくなった。あれ?くるぶしの突出は????
読んでいたのは『障害をしゃべろう!』。
「役に立つ」ことが正義だと思い込んでいた頭の固い私にとって、その正義はとても曲者なんだと教えられた発言だった。そもそも「役に立つ」ってなんだろう。それは誰の目線で見た世界なんだろう。「役に立つ」が正義であれば嬉しい人の思いに、私はのまれていたのだろうか。
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4月20日(木)
久しぶりに両親とランチ。もう何十回目かの転職をした父は、今のところ穏やかに仕事を続けているので3人で和やかな食事になった。しかし私も母も現状に安心しているわけではなく、いつ「仕事を辞めてきた」と父が言いだすのかと思っているふしはあり、父に対する不信感って、きっとこのまま消えないんだろうなぁなんて思いながら、しかし父はといえば仕事を始めてから、体重が2㎏減ったのに体形が変わらないので、いったいどこが減ったのかという話を楽しそうにしていて、相変わらず悩みがなさそうでうらやましく思った。
読んでいたのは、岸山真理子さんの『ケアマネジャーはらはら日記』。
少し前に『健康で文化的な最低限度の生活』という生活保護のマンガを読んでいたからだろうか、ケアマネジャーという仕事内容が頭にすんなり入ってきたような気もするし、予想のななめ上ばかりいっているような気もした不思議な本だった。介護や支援を必要としている人たちを助けるお仕事なせいか、とにかく壮絶な出来事がたくさんあって、これが支援するということなのかと支援員さんたちに頭が下がる思いでいっぱい。
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4月21日(金)
学校の参観日。人数制限のなくなった参観日だからなのか、一家総出で来ている家庭もあってビックリした。感染症の前はこういう光景もあっただろうかと思い出そうとしてみるものの、2日前に食べたものを思い出せない私にとって、3年前以降の記憶なんて遠い彼方へと旅立ったまま。子どもたちはと言えば、内向的な息子は相変わらず下を向いたまま発言もせずで、外向的な娘ははりきって発言をくりかえしていた。同じように育てたはずの我が子たちでも、こんなに違うんだなということを改めて感じた日にだった。
読んでいたのは、植本一子さん、金川晋吾さん、滝口悠生さんの『三人の日記 集合、解散!』。
同じ日に日記を書く三人。植本さんの日記に金川さんが出て来たり、逆もあったりで、同じ日を本当に生きているんだというよくわからない気持ちで胸がいっぱいになる。毎日は淡々と過ぎているような気がするけれど、全く同じ日はどこにもなくて、それに気づけるのもこうして日記本を読んだり、自分で日記を書いているからだなと気づく。『三人の日記 集合、解散!』も日記の良さを思い知る本になっていて嬉しい。人様の生活をかいま見る幸せ。この幸せは感じて良いものなのか否か、いまだに私にはわからないのだけど、とにかく日記って面白いというシンプルな気持ちで読んでいる。