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思いどおりにいかないイライラを抱えてもがく
昨日の記事で夫に対してイライラしていると書いたあと、ふと気づいたことがあった。夫の何にイライラしていたかというと、夫は自分の思いどおりに動かない子どもたちにイライラをぶつけていて、そこが私は違うんじゃないかと思っていたのだ。
しかしよく考えてみるまでもなく、子どもたちにイライラをぶつけてしまうことって私もよくやってしまうことで、夫を責めることができる立場じゃない。なので状況を見守りつつ、しかしこれはやはり違うだろうと考え、だから夫にイライラしてしまっていたのだった。
けれども冷静に考えてみて気づいたことがあって、それは、夫も私も子どもたちも全員が、相手に対して同じことをしていたってこと。自分の理想とするものがあって、その理想どおりにならない現実を相手のせいにして、相手にイライラをぶつけているだけなんだと思った。
夫は自分の思いどおりに動かない子どもたちにイライラしていて、子どもたちは自分の思いどおりにさせてくれない親にイライラし、私はそういう彼らを眺めてどうして仲良くできないのかと思っていて、でもこの「仲良く」という部分も私自身が理想とする家族像みたいなものがあって、そこに当てはめようとしていただけなんだ。
そう気がついてみると、相手は自分の鏡というのは事実なんだな~と改めて思ったりした。相手の嫌だと思う部分は、自分も持っているものである場合が多く、その自分の嫌な部分を相手を通して見ているから、余計にイライラしてしまうって話をどこかで読み、まさにそれだなと感じた。
人を思いどおりに動かそうとしてはいけないと分かっていても、理想とするものがあるとそこに近づきたくなってしまう。子どもたちの理想は「口うるさくない何でも言うことを聞いてくれる優しい親」だろうし、親の理想は「口答えしないで何でも言うことを聞いてくれる優しい子ども」なのかもしれない。その理想を捨てられなくて、親も子ももがいているのかもしれないなぁ。なんてことを考えていた。
そんな最近の読書は『マーダー・ミステリ・ブッククラブ』。ようやく読み終わった。
本の中で、
自分はあらゆることを深刻にとらえすぎていた。ものごとを大局的に見たいなら、ある程度は距離をおく必要がある。
と書いてあって、まさに自分のことだ!とビックリした。
相手にイライラして何も見えなくなってしまうときは、相手との距離が近いのかもしれない。ものごとを近くで見過ぎて、全体像を把握することができずに、一人でアップアップしているだけなのかもしれない。
何でも深刻にとらえる癖がある私にとって、距離は大事だ。これからは一歩引いて見ることにしよう。