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読書日記・性差だとかこの時代に
1月30日(木)
向田邦子さんの言葉を集めた本『少しぐらいの噓は大目に』を読んでいて、ふむふむと唸った言葉があった。
人生至るところ浮気ありという気がする。
女が、デパートで、買うつもりもあまりない洋服を試着してみるのも一種の浮気である。
インスタント・ラーメンや洗剤の銘柄を買えるのも浮気である。テレビのチャンネルをひねると、CMというかたちで主婦に浮気をすすめている。
こういう小さな浮気をすることで、女は自分でも気がつかない毎日の暮しの憂さばらしをしている。ミニサイズの浮気である。このおかげで大きい本ものの浮気をしないで済む数は案外に多いのではないだろうか。
「浮気」(『霊長類ヒト科動物図鑑』)
浮気という言葉になるとビックリするけれど、これが「毎日の暮しの憂さばらし」と表現されたら納得する自分がいる。小さな浮気だと認識していなかったけれど、生活の一部をほんの少し変えてみようかと思うだけでも、それは小さな浮気で日々の憂さばらし。なるほど。
これって男性の場合はどうなのだろうか。本物の浮気をしないで済んでいる人は、何かしらの憂さばらしがどこかに存在しているのだろうか。それは女性と同じように、いつもの銘柄を買えるだけで満足するものなのだろうか。
いや待てよ、そもそも女性が少しの浮気で満足しているとはかぎらないじゃないか。そもそも満足した人生を歩むって何なんだろうな、なんて哲学的なように見せかけた根本的な疑問を抱き始めたので、この件はいったん終わり。答えの出ない問題なんていくらでもあるし、それらを深追いしたい時もあるけれど、今は考えを深めるのが面倒くさい。間違えた、いつだって考えるのが面倒くさい。
1月31日(金)
1月が終わる。今月も何をしていたのか、自分ではさっぱり覚えていない。毎月のことながら自分の記憶力の薄っぺらさにビックリする。たぶん今月から2025年になったはず。それだけは確か(1月の振り返り終了)。
『翻訳する女たち』を読む。最初に登場している中村妙子さんは、アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で書いていた、『春にして君を離れ』、『娘は娘』、『愛の重さ』などを翻訳されていて、私はそれらの作品が大好きなので、中村さんの人となりを『翻訳する女たち』で知ることができてとてもよかった。
英語を学ぶことが推奨されていない時代でも英語を勉強し続け、英語に関わる仕事を得た中村さん。もしも中村さんが英語を学ぶことを諦めていたら、中村さんの訳で本を読むこはできなかったんだな、と思うと不思議な気持ち。
私は勝手ながら、女性が書いた本を男性が訳しているとそれだけで「うーん」と思ってしまう。それは、文章による男女の差があると勝手に思っているからなんだけど、しかし、女性だと思っていた作家さんが男性だったり、その逆もあったりした過去があり、私が考える文章による性差なんてこの世に存在しないんだろうということを最近は理解しているつもりだし、そもそもこの時代に性差とか言ってるなんてどうかしてる。原書が読めないんだから、訳してもらえているだけでありがたいと思わなくちゃ。
2月1日(土)
いつの間にか2月。そろそろ本格的に運動しないと体形がやばいことになっているのだが、しかし外は寒い。寒いのを理由に外に出て運動しないことを選択してしまうと、必ずと言っていいほど天気を理由に運動を嫌がりますね。夏になれば暑い、雨が降れば濡れるから外には出られない、曇っていたらちょっと気分じゃない、晴れていたら太陽がキラキラしてまぶしいから外には出たくない、といった理由が目白押しだもの。外に出る気持ちなんて、いつ何時であっても私は持ち合わせていないってのに、天気のせいにするなんてね、まったく勝手な人だよ。もう覚悟を決めて、これからもどんどん太っていけばいいんじゃないかと思う2月の始まり。幸先のいいスタートだこと。
山崎元さんの『がんになってわかったお金と人生の本質』を少し読む。山崎さんは、賛否両論のある某医師の意見を信じていたようでちょっと驚いてしまった。医師の意見に賛同される理由などが本の中で説明されているので、自分の中できちんと判断した結果んだんろうけれど、しかし・・そうか、そうなのか、という気持ちになる。私も某医師を信じていた過去があるので、勝手ながら山崎さんを同士のような気持ちで見つめてしまった。
それと全然関係がないけれど、山崎さんは癌になってドクターストップもあり禁酒したそうなんだけど、禁酒自体は辛くなかったらしい。むしろコーヒーをやめろと言われたら無理だったかもしれないと本にあって、あぁ!!分かる!!!!と、ここでも同士のような気持ちになる。
私も毎晩飲酒しているけれど、お酒とコーヒーのどちらかをやめろと言われたら、きっとコーヒーをやめるほうが辛いと思う。私はどうもカフェイン不耐性なので、飲んでいるのはカフェインレスのコーヒー。それでもコーヒーをやめろと言われたら無理です!!!!と大きな声が出そう。
人生の最後ぐらい、好きなものを食べて飲んで死にたいよなぁと思うけれど、なかなかそうもいかないのが人生なんだろうな、と本を読みながら思う。食べられるもの、飲めるものは元気なうちに、心残りのないように。