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読書日記・疲れない方法で

11月1日(金)

10月末でいったんこの日記を終わりにしようと思っていたのに、私はまだこの日記を続けている。noteは続けていきたいと思っていて、しかし日記だと書くことが限定されるし、だから別のことを書くようにしようかと考えていた。

とはいえ、日記以外を書くとなると「何を書いても自由」になるのだけど、その自由さが自分にとってとても不自由だったりする。「何を書いてもいい」のは、何を書いたらいいのかわからなくなるということでもあり、多少の制限があるほうが動けるということと似ている。いや似ているというよりも、まさにそのままの話。決められたレールの上を走っているほうがラクな状態におちいっている。そしてこの話は、わりと何度もしている私。同じ思考をくり返し、noteに書きつづる日々。でもいいのです、それもまた人生。ということで日記継続。




11月2日(土)

ドリヤス工場さんの『昭和怪事件案内』を読む。名前だけは聞いたことがある事件たちの、詳細を知るきっかけになる一冊でとてもよかった。

こうして有名どころの事件たちを振り返ってみて思うのは、事件の真相なんて当人たち以外にわかりようもないんだなということ。

たとえ事件の犯人が自供していたとしても、それだけが真実でもないし、意図して語られなかったことだってあるかもしれないよね。語られないことは最初から無かったことになって消えていくだけなんだろうし、だとすれば事実なんて当人以外には何もわからないのか、と改めて思ったのだった。

そんなの当たり前なんだけど、クリスティー作品や名探偵コナンを読んでいるせいか、事件の真相はすべて明るみに出ると思っているふしが私にはある。本当のことなんて、誰にもわからないのに。でもそれが当たり前なのに。

自分の行動ひとつ取ってみても、どうしてこんなことをしてしまったのかと説明できないことだがある。すべてを言語化できるなんて無理があるってのに、そんなの当たり前にできると思ってた。俺ってやつは何様なんだ(きっと俺様)。





11月3日(日)

文化の日。この日はもともと明治天皇の誕生日らしい。だから祝日なんだということを今日初めて知った。ビックリした。




11月4日(月)

野本響子さんの『東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本』を読み終わる。

マレーシアに住み始めた当初、予定通りに進まないことに腹を立てた野本さんは、東京に住んでいたころと同様に怒ってばかりいたらしい。喜怒哀楽という感情があるのだから、怒ることは当然だと思っていたので、他の人に注意することもあったのだとか。

しかし野本さんはマレーシアで暮らしていくうちに、マレーシアは日本と違って予定通りに物事が進まないことが多く、日本と同じような感覚で暮らせないことを体験して学んだらしい。


 銀行のシステム障害でお金が引き出せなくなったり、交通渋滞で車が動かなかったり、大雨で道路が冠水して進めなくなったりします。高速道路のシステムが故障して大混雑したこともありました。自分ではどうすることもできない状況にたびたび遭遇します。
 しかし、そこで文句を言って怒り出す人は少数です。なぜなら、「ほとんどのことは運」だと多くの人が知っているから。

『東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本』より引用


日本に住んでいると、自分ではどうすることもできない状況にたびたび遭遇することって少ないはず。災害などにあって初めて、自分の置かれていた状況が恵まれていたと気づくけど、復旧してしまうと今度はそちらが当たり前になり、不便なことが少しでもあるとたまらなく不快になって怒りだす人たちも増えていく。

「ほとんどのことは運」だと考えてみると、いつもの日常は運が良かっただけであって、予定通りに電車が来なくても、急に仕事がキャンセルされても、システム障害でスマホが使えなくても、「まあいっか」の気持ちで過ごせるのではないかと、本を読んで思ってみたけれど、日本の便利さに慣れている私にはその「まあいっか」や「ほとんどのことは運」と思えるようになるまでに時間がかかりそう。というよりも、死ぬまでその発想になれるか自信がない。

それでも「ほとんどのことは運」だと思うようにはしたい。野本さんも本の中で、


 生きていれば、誰かに迷惑をかけることもあるでしょう。でも、怒ったり叱ったりして、負の感情を押しつけなくてもいい。答えがひとつではないことを理解している人が多く、「まあいっか」があふれた社会は楽なのです。

『東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本』より引用


ラクな社会があるのならば、そっちのほうがいいな。負の感情は疲れるからね、疲れないほうがいいよな~なんてことを思ったのでした。



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