「読書日記」再スタート
2022年4月25日(月)
今日からまた「読書日記」をスタートさせることにした。もう少し待てば5月からスタートできたのだけど、日記は何でもない日から始めると続くらしいといった話を藤田香織さんが『だらしな日記』の中で書いていて、でも藤田さんは毎日日記を書いていなくて、でも何年かは継続されていたようなので、三日坊主にはならないだろうと判断して、今日からスタートする。相変わらず前置きが長い。
さて、毎日少しずつ柿内正午さんの『町でいちばんの素人』を読んでいるのだけど、人様の日記には中毒性があるようで、とにかく日記を読みたい!読ませてくれ!!という渇望でいっぱいになってしまった。
とにかく日記本を摂取したくて、他の日記本を図書館で借りようか、それとも買いにいこうか、気持ちが興奮しすぎてテンパっている感じ。こういう時にする判断は、焦りがあるので間違えることもあるので、ちょっとひとまず落ち着こう、どうせ今日は図書館もお休みだし、と思っていたら少しだけ気持ちが落ち着いた。でもそれは、気のせいかもしれない。
週の始めは子どもたちも「学校に行きたくない」と連呼する場面が増えるものだから、学校へ送り出すだけでヘトヘトになる。大人だって月曜日は苦手だよ、と思いつつ、月曜日が苦手じゃなくなった時期も確かにあって、あれはサービス業をしていた頃だったな、と思い出す。
サービス業は土日のほうが忙しいし、月曜日が休みになることもあって、月曜日だから苦痛だと思う気持ちが減っていた。その後、仕事を辞めて専業主婦をしていた頃も、月曜日の苦痛さはなくて、でも毎日のやることはキリがなくて何とも言えない疲れもあったりして、それは曜日うんぬんではなくて、自分が思っている以上の成果を上げられていないのだという、勝手な自己判断が招いたことなのだけど、私はそういったことに左右されるのが非常に得意なので、いつもフラフラと自分が定まらずに悩んでいたことを思い出した。
今でも自分が定まらないし、フラフラと悩んでいるのだけど、本を読んでいるとそんな自分と距離ができるので、息が少しだけラクにできるような気がしている。
『ぜんぶ本の話』を読んでいたら、池澤春菜さんが「子どもの頃から、本の世界にいれば安心だった」といったようなことを仰っていて、読書家の人って同じことを言うけれど、その安心ってなんだろうな、とずっと思っていた。
でも今、本を読むことで安心するという気持ちは少なからず私にもあって、それは文章に触れていればそれだけでホッとするという意味合いもあるのだけど、やはり本の世界に入ることで、自分を少しだけでも客観視できて、それは自分という人間を、永続的に主観で見ることから離れるという作業でもあり、私はそれがあるから、本を読まなかった頃にくらべて息がしやすいのかもしれないな、なんてことを思っていた。