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心の余裕と善意の気持ちと
「一日の中で一番パワーが発揮される時間は、自分が生まれた時間の前後2時間あたり」
といった話を聞いた。
たとえば私は16時30分に生まれているので、前後2時間で考えると、14時30分から18時30分あたり。一日の中で最大の力が出る時間がこのあたりということになるはず。
午後になると疲れも出てくるし、元気がなくなるのが当たり前だと思っていたけれど、それって勝手なイメージにすぎなかったかもしれない。以前から夕方になると元気になる自分には気がついていたので、生まれた時間の話を聞いてものすごく納得した。
ちなみに夫は夜中の時間帯に生まれたらしい。この夜中に生まれた人って朝起きられない人みたい。たしかに夫は朝が苦手。この生まれた時間の話を聞く前は、朝が起きられないという夫に対して、
「夜は早く寝るようにすればいいんじゃないの?」
と声をかけていた。
そういうことじゃなかったのかもしれない、といまは思う。力が最大限に活かされる時間と、どうしようもなく苦手な時間が人にはあるんだということを考えてみたって良かったんだ。
それに朝が苦手だから、夜は早く寝ればいいという解決策に思えるものだって、当たり前だけど効果がある人と無い人がいる。どんなに早く寝ても、今度は早すぎる時間に目を覚まして、そこから眠れず、眠たくなったころに起きる時間になる人だっているんだ。
知ったかぶりの情報を、善意の気持ちでぶつけることはやめよう。
*
そんな最近の読書は『困ってるひと』。
最近の自分が忘れているもの、それが「ユーモア」なんじゃないかと気づいたのは、この本に出会ったから。
以前にも「ユーモア」が必要不可欠だと思ったけど、あれはたしか岸田奈美さんが
「人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」
と、書かれていたことがきっかけだった。
岸田奈美さんの『もうあかんわ日記』を読むと、奈美さんが一人でアレもコレも抱えて大変なのに、けれどそこに笑いを交えた文章にしてくれているおかげで、悲惨な状況が笑いの場へと変化していて本当にスゴくて言葉もない。
私もマネして笑いを交えた文章を書きたい!とか思ったこともあったけど、あれは奈美さんにしかできないことだろうと、早々に気づくことができた。身のほどを知らずに右往左往しなくてよかった。
話が『もうあかんわ日記』のことになっている・・。
話を戻します。
『困ってるひと』では、難病という過酷な状況におかれた著者の姿がある。痛みをともないながらも、それでも生きる著者・大野更紗さんの姿は、とても苦痛で耐えがたいものになりそうなのに、なぜか本ではその耐えがたさが減っている気がする。きっと「ユーモア」が文章にあるからなんだろうな。
もしも文章に「ユーモア」がなかったら、大野さんの本を手に取る勇気はなかったと思う。痛みや苦痛は目を背けたいものだし、それが他者の痛みや苦痛であったとしても、それを我がごとのように感じやすい私には耐えられない。
だから「ユーモア」って大事。状況を悲観するだけの話になると、誰が聞いても苦痛だと思うし。そこを理解しているはずの私だけど、ネガティブに状況を悲観した話がとても多い。ちょっとその辺りは改善してもらわないと困ります。
「ユーモア」を交えた文章は難易度が高い。だから安易に自分も「ユーモア」を交えた文章が書ける!とは思わないけど、心にはいつも「ユーモア」があると良いなと思う。そんなん余裕がなかったら無理でっせ!と心の声が聞こえる。たしかにその通り。「ユーモア」の前にまず「心の余裕」。これ大事。