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反応ばかりする人にはなりたくないのだけど
自分の人生に満足していないときは、他者のアレコレが目についてイライラするよね、という話を聞いて、まさしく私のことだ!と思った。
以前に読んだ『あなたのまわりの怒っている人図鑑』にも、
「口うるさい親は自分の人生に満足していない」
と書いてあった。
自分が好きなことをしているとき、集中しているせいか、周りの雑音すら気にならないってこともある。
それぐらい「好き」という思いは強いんだろうね。
逆に暇なときや、自分が嫌いなことをしているときは、集中する要素が見当たらないため、周囲に目も耳も向きがち。
こうなると人のアラを見つけることたやすくなって、一言文句でも言ってやりたい気持ちがムクムクとわいてくるように思う。
その気持ちを相手にぶつけるかどうかは、その相手によって判断していると思う。
たとえば上司なら文句を言うのは止めるけど、後輩だったりするとちょっと物申したい気持ちがおさえられないときもあったりして。
そんな自分を振り返っていたたまれなくなることが、私にはある、確実に。
それからこれもよくあるんだけど、夫や子どもたちの行動や言動に、たえず反応してしまうときがあって、そういうときは私自身、やりたくないことをしている時だなぁと気づいた。
自分がやりたいことをやっているとき、夫や子どもたちの行動も言動もあんまり気にならない。
しかし自分がやりたくないことを我慢してしているときは、夫や子どもに強く当たってしまいがち。
夫や子どもはいつもと同じ行動をしているだけ。
私自身のコンディションのせいで、見える景色が変わっているだけ。
自分がその景色をどのように見ているかだけなんだよね。
あと、満足していない時間を過ごすと、自分ばかり損しているという気持ちが生まれやすいような気はする。
「人生に満足する」というのが、自分にとってどういう状況なのか。
そこをまず考えて知っておくのは、とても大事なことかもしれない。
ムダにイライラする前にね。
*
そんな最近の読書は『モヤモヤの日々』。
その日にモヤモヤしたことを日記に残すのが、とても面白い試みのように思った。
日々のモヤっとしたささいなことも記録してみると、自分がどうしてそこに反応しているのかを知るきっかけになる。
自分がモヤモヤしやすいことが何なのか。
改めて考えたことがないので、「今日のモヤモヤ」と題してnoteに書くのも面白いかもしれないなんてことを考えていた。
考えていただけで、実行に移すつもりはないんだけど。
いや待てよ、もうすでに日々のモヤモヤを私はこうしてnoteに書いている気がする。
本を読んで気になったことも、自分の中の何かが反応した証拠だし。
その反応をこうしてnoteに書いて、深堀しているように見せかけて、実は何にも考えちゃいないというのが私だな、とこの記事を書いて気づいた。
考えているようで、考えていない。
考えているようで、実は反応しているだけ。
そういうことってたくさんあるんだよね。
むしろ反応しかしていないとかね。
考える人になりたいもんだ。