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心にも栄養が必要だって気づかなかった

じっくりと文章に向き合うことが減った。もともとせっかちだから、文章をざっとしか読まないところはあったけど、以前はもう少しだけ文章をかみしめていたような気がする。この文章はどういう意味だろう?って考える時間があったような気がする。

そういう時間が今は皆無といっていいほど無くなっていて、読書しても斜め読みばかりしている気がしたので、これはよろしくないなぁと感じたのだけど、自分がなぜこんなにも急き立てられるように文章を読んでいるのかと、ふと考えてしまった。

おそらくだけど、私の頭の中には情報がたくさん入りすぎていて、それらを処理できないうちに新たな情報を次から次へと頭の中に入れているのが原因なんじゃないかと思っていたら、先日同じようなことがSNSのタイムラインにも上がっていた。奇遇だね。

次から次へと新しい情報が流れる世の中で、常に最新の情報を得ることに必死になれば、焦りが生まれるのは当然の結果だと思うけれど、そうしなければ時代に取り残される気持ちにもなり、それがより一層の焦りを生むんだろうという悪循環に自分がおちいっていて、まるで蟻地獄にはまっているような気がした。

人と同じことをするのが苦痛なわりに、仲間外れにされたくなくて、人と同じことをせずにはいられない自分。矛盾している感情にゆさぶられて、今日もどっちつかずの自分。

どっちへ進むのか、自分の道を自分で決めるには覚悟と責任がともなうから、それらを引き受けることのしんどさが自分を迷わせているだけかもしれない。


そんな最近の読書は『リリアンと燃える双子の終わらない夏』

興奮すると発火する体質を持つ、双子の世話をすることになったリリアン。テンポよく進んでいく物語だし、子どもを持つ親として教えられる部分もあるしで、非常に興味深い内容だった。まだ読んでる途中なので、どういう結末になるのかは予想もつかないんだけど、そこも含めて面白く読んでいる。

個人的に気になったのは、双子が年齢のわりに幼いと感じるリリアンの思い。

ふたりとも十歳なのに、ときどき年齢よりも幼く思えることがあった。心身ともに栄養が足りていないところも、手に負えないところも含めて。

『リリアンと燃える双子の終わらない夏』より引用

この「心身ともに栄養が足りていない」という描写にハッとした。そうか、栄養って体だけじゃなく、心にも必要なんだ!
言われてみたら当たり前のことなのに、私の頭にはその考えがまったく無かったことに気がついた。

健康のことを考える時、まずは食生活と運動を意識してしまうし、そこに気をつけてさえいれば問題なしだと考えていた。でも、心が不健康であれば、食生活や運動を見直したって健康にはならないんじゃないかという気がして、何よりもまず最初に、心にこそ栄養が必要なんじゃない???と思ってしまった。もしかしたら、心が不健康でも食生活と運動を変えていけば、心も健康になるのかもしれない。順番はどれが先で後なのか私にはわからないけれど、心を無視したらダメってことだけはわかった。

この心の栄養について、私はずっと無視して生きていた気がして、だから子どもたちの心についても、あまり深く気にしてこなかったように思う。本人たちのやりたいと思う気持ち、やりたくない気持ちよりも、それをすることによって引き起こされる問題点にばかり意識を向けていた。そのせいで口うるさい母親になっていたわけで、そう考えてみると、私は子どもたちの心の栄養を奪う役目をみごとに果たしていたってことになる。果たさなくていい仕事は完ぺきにこなす母親です、どうもこんにちは。

そして自分自身の心の栄養についても無視し続けていて、だからやりたいこと、やりたくないことが自分のことなのによく分からなくなっていて、世間ではこれが正解だろうと思われることだけを、今までしてきたような気がする。それは自分の心を無視することにもつながっていて、だから私自身の心にも栄養がたりていないんだと、『リリアンと燃える双子の終わらない夏』を読んで気づいた。

自分をないがしろにしてきた私は、人を大切にする方法を知らない。それは、年齢のわりに幼いと思われる『リリアンと燃える双子の終わらない夏』の双子と同じようなもので、私の心身も育っていない可能性が高い。でもこうして新たな気づきを得ることができた。ということは、成長できる可能性も高いってことだ。

心に栄養を与えていこう。
でもどうやって???
あまりにも心に栄養を与えてこなかったもんだから、出だしからつまずいてるけど、たぶん、大事なのは行動力だろうな。やってみたいことをどんどんやってみること。それが無益であっても無問題!自分に栄養を与えまくろう。

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