18歳無職の自己紹介
長らく自己紹介を更新していないので、プロフィールタブに置いておけるようなものをひとつ。
前は不登校で〜とか病気が〜とか人生で悲観している部分の寄せ集めのようなものを書いたような気がするが、今回はもう少し幅広く人間味のある内容にしたい。
私は現在18歳。職業は何かと聞かれると今でも返事に数秒要するが、今回は無職と書いておこう。
面と向かって聞かれたら浪人生と答える。でもそれは半分嘘で、将来的には進学したいが今はほとんど勉強できていない。こんな奴が、難関大学を目指す世の受験生と同じ肩書きを堂々と名乗ることはとてもじゃないけどできない。気まずくなっても困るので無職というワードは滅多に使わないけど、浪人生と言って「頑張ってるんだね!」と褒められるとそれはそれで申し訳なさを感じる。あと2年もすれば浪人というワードでやり過ごすのもキツくなってくるので、もし2年後も無職だったらどうするもんかねと思っている。
軽く生い立ちを話すと、私は2005年にド田舎で生まれた。
こういう田舎ではなく
こういう田舎である(流石にわらぶき屋根は存在しないし道路はコンクリ)。
生まれた瞬間からちょっと変だった。今は目立たないだけで実は軽く発達障害だと思う。小6の時に色々と爆発して不登校になる。これといったきっかけはない。
中学になってからも節目のたびに頑張ったり動けなくなったりを繰り返す。中学では有り難いことに養護教諭と運命的な出会いをしたので完全引きこもりにはならず、ダメな時期はギリ保健室登校。
ここからはちょっと詳しく書く。
高校受験期:自分で進路を選べるということに希望を見出し、コロナの自粛期間を生かして勉強を頑張る。途中から希望を美術科の高校に変えたのでデッサンの練習も始める。当時の絵を適当に抜粋して時系列順に並べておく。全然下手だが、独学短期間でちきんと成長できたのは我ながら意欲を感じる。
高1:無事志望校に受かり、実家から離れる。美大に行きたいと思うようになる。
かなりしんどかったがこの環境で頑張りたいと思い、留年しないように不死身の如く通う。
そんな中でついに鬱の症状を連発し、実家に返され、将来に絶望する。それでも諦めきれずにたまに無理をして実家から往復5時間を通学したが、年明け頃には半ば放心状態になりほとんど行かなくなる。でもなぜか辞めるつもりはなく、年度末に教頭に退学するよう勧告(実質命令)されて致命的に病む。信念とは裏腹に身体が裏切りやがった。
全てがどうでも良くなったので適当な公立の通信制高校に転入した。
高2高3:大人しく生きようと決める。美大を自動的に諦める。塾行ったり摂食になったり衝動的に退学しようとしたり高認を受けなければならなくなったりと、ある意味忙しかった。体調は悪く、よく長期間寝込んだ。生きがいは清掃のバイトだった。
学歴だけのための通信制高校は何とか卒業までこぎつけた。やりたくないことを自ら選択することが、いかに不向きなのかを痛感した。思い出すと泣ける。
自分の努力により進路未定を除けば全てが丸く収まった。高校だけの話をすれば、今までこんなに面白くなかったことはない。私の感受性も死んでいたし、学校自体もゴミだったと思う。いつか漫画にでもしたい。
実は大学受験には合格することができたが、体調が微妙なので入学は泣く泣く断念した。
当時は1年後に再度受験するつもりだったけど、できる気がしないので実は別の進路を考えている。完全に妥協である。このことを考えると落ち込むので今は意識的に考えないようにしている。
詳しく書いたヤツ🧸
近い将来は車の免許を取って、アルバイトを始めようと思っている。何だかんだで体調は徐々に良くなってきていて、最近は一日寝込むような日はほぼない。主治医のおかげである。
都合の悪いところをはしょったのもあるけど、私は我ながら真面目である。真面目すぎるところが問題だとも分かっていて対策も講じているのにうまくいかない。
自分とは日々向き合っているのでnoteに記している日記等を見てほしい。気が向いたら最近のを適当にポチってみてください。
最後に宣伝をすると、私は超とき宣のファン。最上級にかわいいの!の子達。
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それでは、またね。