鬱人、葬式のプランニングと終活

ちょっとした生き甲斐はあるにはあるけど、それも頑張って作り出してるだけで真の生きるモチベがない。
自分が死んだら親族はどんな反応をするのか考えていた。予想でしかないが、母は精神崩壊し、妹には姉の自死+母の精神崩壊の深刻なダブルパンチ、それ以外の人もそこそこ悲しむだろうという結論に至った。

でも普段は私が居ない方が楽しそうだし、生かすためには金もかかるのに、生きているものが死を選ぶってだけで家族が壊れるのが容易に想像できるのは不思議だな。私に救いは無いのかな~。

母は昔、自分の葬式について、「私はちゃんと焼却だけしてもらえればいい、葬式の時にわらわら人が集まって同窓会みたいになってる光景が本当に嫌いだから」って言っていた。普通の死に方をする前提であればそれも分からなくはない。
でも私が自殺した時は、最大限人を集めて、懐かしいー!ってなったら同窓会でもなんでもやってもろて、と思う。私が死んだことを祝われたら流石に惨いけどさ。
正月におめでとうと言うだけの関係の人がいるように、私が死ぬという特殊イベントの時のみ集まり、一時的に誰かの人間関係とか懐かしい感覚に貢献できるなら嬉しいかもしれないな。
とか永遠に考えていた。
マジレスすると私は地元の子とそんな仲良くないので、 葬式からの同窓会も合コンも有り得ない話です。あと、原因の憶測が飛び交ったり、「かわいそうにねぇ」とか言われても嫌なのでやっぱりそんなに人呼びたくないかもしれない。

今日は珍しく昼に起きた。早い。しかも一日中割と元気だった。でもずっと死ぬことを考えていた。
死ぬ時、スマホにはパスワードをかけず誰でも閲覧できる状態にしておこうと思っている(親名義とはいえその方が解約しやすそう?だし何より遺影がない)。しかしスマホなんてプライバシーの塊なので、手始めに1000件以上のメールと1500枚の写真とその他不必要なデータを消去し、サブスクも解約した。部屋に山積みにされている本と服の整理も始めた。

正直、今私がやりたいのは自殺ではなくクソデカ自傷行為な気もする。いつまでに死のう、どこで死のうとかも全然考えていない。
しかしライトに人生に絶望したのは事実。クソデカ自傷行為で終わったとしても諸々自殺と大差ない扱いを受けそうなので、「私はいつでも死ねるんだぜ」という状態の方がスマートにいられる。
今までの私の死にたいは気分の落ちたその先にあったが、今は選択肢の1つとして死にたいと思っている。
死にたいんじゃなくてただ今の環境を変えたいだけであってくれ。そうだとしたら部屋が小綺麗になる頃にはまた今日と同じ、ドロドロとした日々を送れる。

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