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都合のいい人間

通信の友人の話をしたら、母に「あんたは都合よく利用されているだけだ」と言われた。
ある日、せいぜい会ったら話す程度の関係の友人にレポートを1年分見せるように要求された。
しかし、私はわざわざ向こうから私に話しかけてくれたこと自体が嬉しくて舞い上がってしまった。

レポートを見せることで大学の推薦の枠が取られるかもしれないなど、自分がすごく損をしそう状況なら流石の私も見せないが、私自身は直接損をしなさそうだったので見せた。
私のお陰で卒業できたとしても、その先でも私を頼るのは不可能だし、安易に人に頼るというのは通用しない。その子自身が頑張らなければ結局のところまともな人生は送れない。今回はこれであなたが卒業ができるのならと思った。
なんなら「わかんないところあったら写していいよ」と自分から言った記憶も無くはない。
人助けをしたいとかではなく、それが話のきっかけになって親密度が上がるといいな くらいの軽い気持ちである。

でも、その後素っ気なくされて酷く落ち込んだ。

その子のオーラからして性格が悪そうだとは感じない。
でも、私はそういうのに酷く鈍感である。
マルチ商法の勧誘に乗るとか、お金の貸し借りとか、ハッキリ黒とされていること以外は本当に分からない。直感が、ない。

それでも、今後も私のことを大切にはしてくれないんだろうなという気はしているので、SNSを一瞬ブロックしたが、怖くなって戻してしまった。ブロックで関係を終わらせること自体がいかにも近代的で、リアルの人間関係において不自然すぎると思った。あと、そんなことをしていると少ない人間関係がどんどん少なくなってしまいには家族くらいしか関わる人間がいなくなる。

中学生の時なんて最初の方はクラスメイトと話すきっかけを作るために、知っているのに「○○教室ってどこだっけ?」などと聞いていた。
「その苗字○○って読むんだね〜!○○だと思っていたよ」などと死ぬほど不自然な話しかけ方をしたりもしていた。
決定的な何かがあって避けられていたというより、陰キャの気張りがなんか違和感で距離を置かれたのだろうと思っている。
しかし未だに私がまとっているその微妙な空気感は健在である。

私はみんなと仲良くしたい。自分から話しかけに行くし、そちらから来てくれたら大歓迎である。この芯のないグラグラな感じが全てを物語っている。他人の言動が情緒のバロメーターなのである。

何がノーマルな人間関係のやり方なのか、どなたかマニュアルで説明してほしい。勉強するので。

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