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妬みと嫉妬に燃えた「恋人作り」からの脱却

恋愛に憧れる自分

私は今まで恋愛という恋愛をしたことが無い。誰かに好きという気持ちを伝えたことはあるが、玉砕してしまうことが多く、ここ数年はあまり活動的じゃなかった。大学に入ってから友達が次々と恋人を作っていく様を見て、私は「恋人を作らねば」と焦燥感に駆られていた。
大学生になってからというもの、恋人を作りたい気持ちと、好きな人が出来ない、好きな人を恋人に出来ない現実をとても恨んでいた。そして、ついには友達が異性と過ごしているだけで嫉妬心を沸かし、友達をとにかく恨みまくるモンスターと化した。
自分はなぜ恋人が出来ないのか、自分は男として失格なのではないかと考えるようにもなってから、楽しいことをしても満たされない自分がいた。

「家族や友達と遊んだり、ご飯を食べても満たされない。」
「なぜ満たされない?」
「恋人がいないからだ。恋人は全てを解決してくれる」とさえ考えてしまう自分にも苛立ちを覚えていた。

ここまで自分を振り返ってみて、気づいたことが2つある。それは、周りに流されてしまう自分と、自分は焦燥感に駆られていることだ。

なぜ恋人が出来ずにイライラするのか

周りに流されてしまう自分

順番に説明していこう。まずは、周りに流されてしまう自分だ。
前述したように、私の周りには数々のカップルが存在している。今までなら、それらと自分を切り離せることが出来た。しかし、SNSやその友達の話を聞いて、「恋人がいる友だち」と「恋人がいない自分」を無意識に比較し、自分への評価をとにかく下げていたのかもしれない。
私は物事に対して、とても積極的な方だと思う。それは、通信制高校に在学していたとき、自ら新しい世界に飛び込まなければ、孤立してしまうといった危機感からそうなったのかもしれない。もちろん、大学生になってもその姿勢は崩れず、今まで様々なものに挑戦し、人脈を増やしてきた。
こうした事実があるのに、友達と比較して、自分は「恋人がいないからみみっちい奴」だと勝手に評価していた。

焦燥感に駆られる自分

次に、自分は焦燥感に駆られていることだ。前述のような様々な挑戦は難しい分、達成した幸福もそれなりに跳ね返ってくる。青二才ではあるが、「挑戦し尽くした感」は自分の中であった。しかし、「恋人を作る挑戦」は今まで達成できたことは無く、永遠にタスクとして残っていた。大学入学前に考えていた「大学生になれば、恋人ができるかも」といった期待感は徐々に消えていき、残されたのは「恋人が出来ず、他の人への嫉妬に燃えている自分」といったものだけである。そして、その気持は良くないと感じとにかく消さねばと焦燥感で動いていたが、中々消えない。
焦燥感は時として、事態が変化しなくなってしまうものでずっと心の中に残り続けていた。

理由のまとめ

これら2つの理由が自分をモンスターにしてしまったのでは無いかと思う。一応言っておくが、嫉妬に燃えていたのは事実だが、とにかく自分の脳内で処理をしていた。実際に行動に移すことはしていなかったのは、自分でも素晴らしいことだと思う。

これから~自分中心で生きたい~

これからはどうしようか、まだまだ検討中だ。とりあえず自分はやりたいことに集中していきたいと思う。自分が現状に満足していれば、嫉妬に燃えるエネルギーや時間を無駄にはしないし、気持ち的にも楽になる。だから、恋愛は二の次くらいで良いなと思っている。
よくよく考えてみれば、「結婚することが男として一人前」、果てには「童貞は恥ずかしい」という時代はもう終わりを告げている。それにもかかわらす、意識レベルではまだまだ残っているものだ。前に受けた社会学の講義で制度が進んでも、意識レベルでの変革はしづらいといったものを学んだ。
まさに私はそんな感じだったのかなと。。。

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