見出し画像

遠隔地ナショナリズム

図書館で借りた池上彰さん著書の本。
とても共感できるというか、なるほど!と思った記述があったので残します。

世界の見方(中南米編) 池上彰著

中南米の歴史について書かれた本。
大航海時代からの新大陸発見、植民地支配、移民の歴史などとても勉強になった。
ブラジルだけ公用語がポルトガル語なのは、経度で区切っていたからなのか!と今さらながら学んだり。

その中で、遠隔地ナショナリズムという言葉が出てきた。

故郷を遠く離れると故郷のことを熱烈に恋しく思う、という意味。
たとえば、私は長野県で生まれたのですが、小さいころ東京に来ました。だけど、東京でずっと生活していると、自分のルーツは長野県だという想いが湧いてきて、なんとなく長野県に親近感を持つようになるのです。
(中略)
つまり、日本で暮らしているときには特に日本の事を意識しなかったとしても、ブラジルに移住し、ずっとブラジルに暮らしていると、自分たちのルーツは日本なんだという意識が非常に高まるんですね。これを「遠隔地ナショナリズム」というわけです。
海外に行ったことによって、故郷に対してものすごく熱烈な思いを持つわけです。

池上彰著 世界の見方(中南米編)214-215頁より

この部分を読んだ瞬間、パッと謎が解けたような、自分の人生に納得ができた気がした。

私自身、沖縄で生まれ、5歳までは当時の豊見城村で生活をしていた。
それから熊本に引っ越し、5~7歳(年長から小学校3年生途中)は熊本の地方(父の実家)で生活。
小4、小5は東京(東村山市)。
小6、中1は鹿児島市。
中2は福岡市。
中3以降は熊本市。
大学で鹿児島へ。
就職で熊本の実家(本籍地)の自治体職員として就職。

と引っ越しばかり。
(父の仕事都合で全国転勤だったけど、割と九州に偏っていたのは今としてはありがたい。)
盆と正月は、東京にいる時でも父が車で熊本の実家(いわゆるじいちゃん家)に6人家族を運んで毎年のように帰省していた。
そうしていると熊本で暮らした年月が短くても「ふるさと」という意識は強くなるもの。

それがあって今の職場に就職したというのがある。
(結果、父からしてみると、長男である自分の長男が実家の役所に勤めるようになったのは作戦勝ちという感じだろう。それを望まれたことは一度もなかったけれども)

ただ、地方(田舎)に暮らしていると「都会の人がお金を払ってでも見たり、味わったり、体験したいものって地元にいっぱいあるよね」と思っている。
これは採用試験際に面接官に話した話で、「そういうものを発信していったり、多くの人に訪れてもらえるような仕組みを作る仕事をしたい」と当時言ったのを覚えている。

不思議なもので、高校生くらいになると、逆に生まれ故郷の沖縄に対する思いが強くなったり…。
今は縁あって毎年のように南城市のハーフマラソン大会に参加しているけど、初めて参加した時が実に二十数年ぶりの沖縄への帰省だった。

だから、「あなたはどこの出身なの?」という話になるとTPOに応じて、沖縄と熊本、その他の地域を使い分けしている。
(その時にいる場所や聞いてくれた人との共通点がありそうな方を言ったり。)

自分の思春期から社会人になるまで思っていたモヤモヤは遠隔地ナショナリズムだったのか!
と妙に納得した2024年の師走。

協力隊としてボリビアで活動するようになったら日本が恋しくなるのか、それとも異文化の魅力に染まってしまうのか、自分はどっちなんだろう?と想いを馳せる日々です。

とりあえず、1次隊向けの準備情報が出たので、準備を開始しないと…!
健康診断だけが本当に心配なので、診断予定の1月末までは、できるだけ…断酒!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集