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「まじめな会社員」感想(ネタバレあり)

冬野梅子「まじめな会社員」を一気読みした。

主人公のあみ子は30才・契約社員・彼氏は5年いない。
マッチングアプリをはじめて1年経つが、コピー&ペーストのうわっつらの会話にうんざりしている。

そんなどこにでもいそうな女性であるが、彼女は読書や映画、音楽などのサブカル趣味を好む。
また、行きつけの喫茶店があり、そこが友達とのたまり場になっている。

仕事はアプリのメールサポートをしていて、単調だが、ストレスは少な目。
ただ会社にいる時間は「楽だけど死んでるも同然」だと思っている。

あみ子は職場になんとなく気になる女性がいる。
名前は小山綾(綾ちゃんと呼ぶようになる)で、突然、金髪にしてきたり、ラフな服装で出社する日もあれば、すごくお洒落な恰好で出社する日もある。

サリンジャーの「フラニーとゾーイ」を落としたことがきっかけで、あみ子は綾ちゃんと話すようになる。
お洒落で個性的な綾ちゃんは、実は読書会に通うような意外なギャップを持っていて、あみ子も誘ってくれる。

あみ子が本を買うときに参考にしているのは、web連載で書評を書いている今村直之の記事。なんと読書会には、その今村直之も来るという。

実物の今村直之に会ってみると、想像していたより若く、あみ子と同世代くらいの男性だった。
読書会中に、今村とあみ子の場面の解釈が一致し、あみ子は久しぶりのコピペではない会話に高揚感を感じる。

読書会後、なんとか今村のインスタを聞き出すことに成功し「大人になっても青春ってあるんだ!」と喜ぶ。
しかし、実は今村は綾ちゃんと付き合っており…というのが一話のあらすじである。

あみ子は、今村や綾ちゃんとそれなりに仲良くなるのだが、なんとなく友達ランキングの中で、自分が下の順位のような気がしている。

彼らのキラキラした感じ、なんとなく仕事や恋愛もうまくいっている感じに憧れるのだが、一生懸命やっているのに、なんだかいつも空回りしてしまう。

なんともつらい話だ。サブカル好きで、界隈のコミュニティに属したことがある人は、思い当たる節がある人も結構いるだろう。

だからこそ、Twitterで検索すると「まじめな会社員」の感想がたくさん引っかかるし、あみ子のどこがいけなかったのか、読んだ人同士で語りたくなる。

作者のあとがきによると、タイトルの「まじめ」とは、コツコツ勉強することや探求心のことではなく、「目上の人にとって扱いやすい、他人の邪魔にならない、手を煩わせない、他人の快適さのために律儀に行動できること」を指しているという。

あみ子は本当は文学部に進学したかったのだが、親にそんなとこに行っても就職先がないと反対され、興味のない大学に行ってしまう。

本当は文章を書くような仕事をしたかったのに、そういうところは就職するのが難しかったり、食べていけなかったりするので、妥協の仕事で生きている。

あみ子の生きづらさは本当はやってみたいことがあるのに、社会の常識や両親の価値観に合わせて、自分を押し殺しているところにある。

あみ子が今村に執着するのは、自分がなり得たかもしれない「理想の自分」だからだ。

今村とは、好む本のジャンルが似ていたり、本の解釈が一致したり、普通の人には伝わらないことが、今村ならわかってもらえる。
だから、付き合ってお互いに理解し合いたい。

最終回で、あみ子は今村に渾身の告白をするのだが、あっさりフラれる。
俺はもう「わかる」はいいんです。今は知らないことを経験するのが新鮮で楽しい、と。

あみ子は結局、今村のファン止まりでしかなかったのだ。

たとえば、スピッツの草野マサムネは、人気絶頂期の頃、こんな気持ちを理解し合えるのは彼しかいないと思い込んだ狂信的なファンに付きまとわれて病んだらしい。

アーティストの生み出す作品に「わかる」と感じたとしても、この人しかこんな気持ちを共有できる人はいないと思っても、それはファンの思い込みでしかない。

この「まじめな会社員」という作品にしたってそうだ。
リアリティーがありすぎて、「作者=あみ子みたいな人」と思い込んで批判するレビューを見かけた。
しかしサブカルワナビーに対する観察力、解像度の高さ、物語としてちゃんとおもしろく構成する力、作者はすごい才能である。

サブカルワナビーが自分の話みたいで「わかる」と共感したとしても、物語に昇華できる冬野梅子は決してあみ子ではないのだ。

あみ子ならこういう服を着ていそう、綾ちゃんならこういう服を着そうっていうキャラクターの具現化力もすごい。
たった4巻のマンガなのに情報量がすごすぎて、読み返すたびに発見がある。

あみ子の生きづらさの原因はいろいろある。
たとえば、空気を読みすぎること。
私のここがいけなかったのかも?とか、言われたことを真に受けてぐるぐる考えたりするのだが、いちいち真に受けるからなめられるのである。

友達同士でもいちいち相手の顔色をうかがうより、自由奔放にふるまっている人の方がなぜか愛されるということはあるあるだろう。

界隈の集まりに参加して、ライターになりたいんですと相談するも鼻で笑われたりする。
自分がなんとなく馴染めていないことを勘付きながらも、その界隈に執着する。
正直、たまり場の友達にもなめられていたりして、あまり居心地がよくなさそうなのに、しがみついている。

あみ子は「今村と付き合えるかも?=自分と今村は釣り合う人間同士だ」という希望を捨てきれないほど、自分の才能に期待しているのに、どこか自己肯定感が低い。アンバランスである。

なんとなく浮いてると感じたら、都会に住んでいれば読書会とか、サブカルの趣味が合う友達なんて、他にも見つかるのだから、ほどほどの付き合いにして、他の場所を探す努力をした方がいい。

この物語内でも、ちゃんとそういう描写があって、たまり場の友達の嶋ちゃんは、あみ子が話したい事が多すぎて話題を持っていってしまうことにつかれを感じて、別の居心地のよい場所を見つけている。

今村の作中2番目の彼女のメイちゃんも、今村が浮気することに悩んでいたが、ついに堪忍袋の緒が切れて「毎日ハッピーでないと」という捨て台詞を吐いて今村と別れる。

彼女たちみたいに、「自分が大切にされていない」と感じたら、その場所から離れたらよいのだ。

最終回、あみ子は地元を離れ、再び上京する。
あみ子はやっと本当の自分らしさをとりもどしたのだと思う。

結構、長文を書いたけど、まだまだこのマンガの論点は語り尽くせていない。

このマンガの読書会を開いて、あみ子は望むコミュニティに溶け込むには一体どう振る舞えばよかったのかを、ぜひ語りあいたい。






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