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「人はどう老いるのか (講談社現代新書)」 久坂部 羊 (著)/ネットの記事に誘われて
Google Chromeを開くと最初に現れる、どうでもよい記事。
(日ごろはSafariしか使わないので、これがデフォルトなのかはわからない)
その中の記事で、タイトルが気になり読んでみた。
加齢とともに関節系(膝、手首や指)が痛むこともあり(だいたいが時間経過で治るのだが)何かヒントがあるのかな?と。
読んでみると、久坂部羊氏が以前勤務していた老人デイケアのクリニックでのお話。
多くの高齢者は障害が起こると、その原因を知りたがります。病名を知りたいのです。病名がわかると少し安心します。治る希望が持てるからです。「病気ではありません、年のせいです」と言われるとがっかりします。老化は治らないと思っているからです。
リハビリの実際の効果は世間で思われているよりかなり少ないと思っておいたほうがいいでしょう。以前は無制限に医療保険で受けられたのが、脳梗塞などでは発症後180日までと制限されるようになったのも、それ以上はやっても意味がないと判断されたからです。
将来そうなるかもしれないが、未だ先の話。
とは言え、知見として知っておくことは無駄にはならないので、記事にリンクが張られている本をAudible聴読した。
「まえがき」より
老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。(中略)
イヤなことばかり書きましたが、これが老いるということ、すなわち長生きということです。
にもかかわらず、長生きを求める人が多いのはなぜなのか。それは生物としての人間の本能であり、長生きをすればいいこともいっぱいあるからでしょう。
世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれています。曰く、「八十歳からの幸福論」「すばらしき九十歳」「人生百年!」「いつまでも元気で自分らしく」「介護いらず医者いらず」等々。
そのことに私は危惧を深めます。そんな絵空事で安心していてよいのかと。
思い浮かぶのが、パスカルの言葉です。
我々は絶壁が見えないようにするため、何か目を遮るものを前方に置いた後、安心して絶壁のほうに走っているのである。
下手に老いて苦しんでいる人は、だいたい油断している人です。浮かれた情報に乗せられ、現実を見ずに明るく気楽で前向きな言葉を信じた人たちです。
上手に老いて穏やかにすごしている人は、ある種の達観を抱いています。決していつまでも元気を目指して頑張っている人ではありません。いつまでも元気にこだわると、いずれ敗北の憂き目を見るのは明らかです。
老いれば機能が劣化する分、あくせくすることが減ります。あくせくしても仕方がないし、それで得られることもたいしたものではないとわかりますから。そういう智恵が達観に通じるように思います。
多くの高齢者に接してきて、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見ていると、初体験の「老い」を失敗しない方法はあるような気がします。それをみなさんといっしょに見ていきたいと思います。
第一章 老いの不思議世界
第二章 手強い認知症高齢者たち
第三章 認知症にだけはなりたくない人へ
第四章 医療幻想は不幸のもと
第五章 新しいがんの対処法
第六章 「死」を先取りして考える
第七章 甘い誘惑の罠
第八章 これからどう老いればいいのか
雑感
内容は、著者がデイケアクリニックで経験した老人ケアの現場。
その施設がたまたまなのか、老人ケア施設の現状なのか分からないが、扱いづらい老人が多々登場して周りを困らせる(特に第二章)。
第一章〜第四章は、デイケアクリニックを利用するクセのある老人の生態を(著者目線で)語る。
第五章以降が(元?)医師として語る老人医療へのコメント。
第五章:医者の目からみた「ガン」の説明。
「ここから先は〇〇に書いています」と自著の宣伝も忘れない。
ちなみに著者と妻、周りの医師は誰も「がん検診」を受けていないとのこと。
「がん検診」を患者に勧めても医師本人にとって「がん検診」は無駄らしい。
「日本人の二人に一人はガンになるということは、二人に一人はガンにならない」と数学的な根拠を披露する。
「ガンになっても慢性的なものもあり心配はいらない。85歳だった父(医師)が前立腺癌になった時『これで長生きしなくて済む』と喜んだ」とのこと。
自分がガンになり病状が進行したら医療用麻薬を使って楽になりたい、と述べている。
第六章:「必要以上に死を避けるのは良くない」と言ったところか。
延命策は本人を苦しめるだけと。
死の絶対的な拒否よりも、安楽死・尊厳死が妥当であると著者は主張する。
第七章:美容整形を含め無駄な若さへの執着、たまに見掛ける年齢の割に異常に元気な老人に倣うことへの批判を述べている。
「自分はまだ元気で、仕事を任せられる人がいない」と宣う高齢経営者への批判は納得。
第八章:結論的なもの。いろいろな例を散りばめている。
『吾唯足知』と言ったところか。
老いを気にして医療へかかり過ぎることへの注意喚起は正しいと思う。
「過剰診療を避ければ元気な老人は増えると思うが、平均寿命は少し短くなるかもしれない」と、老人の医療への関わり方を暗に語っている。
文中に自著の本が幾度となく挟み込まれるので違和感を感じたが、読後調べてみると著者は医者というよりも小説家。
臨床は若いころだけなのかもしれない。
大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院にて外科および麻酔科を研修。その後大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科に勤務。サウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニアの在外公館で医務官として勤務し、帰国後は在宅医療に従事。同人誌『VIKING』での活動を経て、2003年に『廃用身』で作家デビュー。
Audible向き(ながら聞き)の本だった。
MOH