【遺書13】ずっと、爪を噛む癖があった【幼少期の話】
自分は物心ついた時から、爪を噛む癖があった。
幼稚園のころには、すでに母親に叱られていた記憶があるから、それよりももっと前からの癖だったのだと思う。
たぶん、そのころはまだ、自分でも爪を噛んでしまっていることに対して無自覚であったし、問題意識も持っていなかったのだと思う。
だから、親の前だろうと、人が周りにいるときだろうと関係なく爪を噛んでいた。
ただ、爪を噛んでいる場面を親に見つかると怒られる、ということをだんだん理解しだすと、親に隠れて、人の目につかないタイミングで爪を噛むようになっていった。
それでも結局は、爪を噛んでいるわけだから、爪を見られたら癖が治っていないことは丸わかりだ。
なんで噛むの?
いつ噛んでるの?
みっともないから、やめなさい。
汚らしいから、やめなさい。
親に指先を見られるたびに詰められた。
怒られる、というのとは少し違ったかもしれない。
自分の親は怒鳴ったり、手を出したりするタイプではなかった。
それよりも、どちらかというと、あきれ果てた態度をとったり、うんざりしている様子だったり、そんな反応だった。
同じことを何度も言わせるなよ・・・
みっともないと思わないのか・・・?
いつまでも、赤ちゃんじゃないんだからさ・・・
いつになったら、やめられるんでしょうね・・・?
爪を噛むのがそんなに楽しいか・・・?
そんな風に、ため息をつきながら、嫌みっぽく、ネチネチと、精神的に詰めてくるタイプだった。
ある時期には「爪噛みチェック」なる時間が夜寝る前に設けられた。
毎晩、寝る前に母親の前に両手を差し出し、爪を噛んでいないかをチェックされるのだ。
夜になるのがだんだん怖くなっていった。
爪噛み癖が治っていないことは自分が一番わかっているのだから。
その日、親のいないところで爪を噛んでしまっていることを自分はわかっているのだから。
だから、毎晩、その話題にならないように必死に話を逸らしたりしていた。
親に隠れて早めに布団に入り、寝たふりをしたこともあった。
爪を噛んではいない、まだ伸びていないだけ、と苦しい言い訳をしたこともあった。
あるときには、全く爪噛み癖が治らない自分を見かねた母親に、両手の指10本すべてに絆創膏を張られた状態で学校に行ったことがあった。
とても恥ずかしい思いをした。
当然、周りの友達からは、指どうしたの?と聞かれた。
正直に話すわけにはいかない。
自分は爪噛み癖が治らなくて、母親に怒られて、やめろと言われて、それでもやめられないから、爪を噛めないようにするために、全部の指に絆創膏をまかれた、などと言えるはずがない。
いや~ちょっと突き指した~なんてバレバレの嘘でその場を乗り切ろうとした。
そんなことがあっても、結局は爪噛み癖が治ることはなかった。
そもそも、子供のころは自ら積極的に爪噛み癖を直そうなんて正直思っていなかったのだと思う。
親に怒られないように、我慢しなきゃいけないな。
そんな程度の気持ちしかなかったのだと思う。
そして、爪噛み癖を直すという本質的な問題からは脱線して、
親にばれないようにしなきゃ。
親に見られないようにしなきゃ。
親に怒られたくない。
そんな気持ちのほうが先行するようになっていった。
そうすると、そんな気持ちと対になって、
常に親に監視されている。
常に親に見られている。
常に親の機嫌を気にする。
常に親の顔色を気にする。
そんな感覚を持ち合わせるようになっていった。
常に親の前では、親と一緒にいるときには緊張感やストレスを感じるような子供になっていった。
爪を噛んでしまう原因として、ストレスや緊張、不安、焦り、そんなものを感じている、というのがあると思う。
それは大人も子供も同じことだ。
常にそんな環境にいたのだから、まして子供だったら、自然と直るなんてことがなくても仕方がなかったと今では思う。
多分、今の自分の気質を作り上げた一つの要因は、爪噛み癖に由来する親との関係だと思う。
人の目を異常に気にする。
人の顔色を異常に気にする。
怒られること、失望されること、呆れられること、を異常に怖がる。
人に見られている、監視されている状態で異常な緊張を感じる。
緊張、不安、焦りを感じやすく、強いストレス源となる。
そうしたことは親との関係だけではない、生活全般、人生全般に波及していく。
怒られたくないから勉強する。
怒られたくないから練習する。
怒られたくないから仕事をする。
怒られたくないから発言する。
怒られたくないから優しくする。
怒られたくないから手伝う。
怒られたくないから笑う。
怒られたくないから生きる。
そんな風に自分の行動原理がすべて「怒られたくないから」になっていく。
それは非常につまらない人生だと思う。
ただ、本人はつまらないということは感じない。
なぜなら、そんなことより「怒られないこと」が大事だから。
楽しむよりも怒られないことのほうが重要。
好きなことをやるよりも怒られないことのほうが重要。
やりたいことをやるよりも怒られないことのほうが重要。
自分らしくあることよりも怒られないことのほうが重要。
そんな価値観になっていく。
そんな風にして今の自分は作られたのかもしれない。
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