第ⅩⅦ章 (最終章)世界の初まりとヘスぺロス・アギーアイランド
Vol.1 黎明楚歌
法廷内はざわついていた。長い長い梅雨が始まり、ジメジメとした空気がまとわりついてくる。冷房はしっかりと効いているはずだが、きっと中にいる人たちの熱気のせいだろう。誰もが真剣にこの裁判に注目していた。裁判長が定刻になったことを確認し、口を開いた。
「それでは、開廷します。被告人は前に出てきてください。」
被告人はゆっくりと落ち着いた様子で証言台の前に立った。彼の目は、朧げでもなければ何かの野心に取り憑かれているようには見えない。
「被告人の名前を言ってください。」
「露祺セレンです。」
彼はゆっくりと自分の名前をいった。
「生年月日はいつですか。」
「19ιζ年○月○○日ですー。」
生年月日から推察する年齢からすると若く見えた。幼いというよりは、若い。そう言った印象を強く受けた。
「住所はどこですか。」
「××県××市××××××××です。」
彼が、住所を言い終えた後で裁判官Aが口を開いた。
「それでは、これから被告人に対するルドラ内乱事件について審理します。検察官は起訴状を朗読してください。」
「公訴事実。被告人は、令和η年○月○日より、××××で政府に対し脅迫を行い、内乱を起こし国家を転覆させようとしたものである。罪名及び罰条。内乱罪。刑法第77条第1項。以上について審理をお願いします。」
検察官Aが起訴状を朗読した。聞きなれない罪に法廷内の人々の興味が向くのを空気で感じる。裁判長は、検察官の起訴状の朗読が終わると少し間をあけ、被告人を見てから口を開いた。
「被告人は、この法廷で何も答えないでいることもできるし、発言することもできます。ただし、被告人が発言した内容は、それが被告人に有利なことも、不利なことも、全て’’証拠’’となりますので注意してください。それでは、検察官が朗読した公訴事実について被告人にお尋ねしますが、どうでしょう。内容はその通りですか。それとも、どこか違う点がありますか。」
被告人は、裁判官の言葉をウンウンと頷きながら聞いている。その表情は、まるで何かを演じているようなふうに見えた。そして、はっきりとした声で話し始めた。
「僕は、内乱など起こしていません。ただ、小石を投げたのです。腐敗した政治に対し、国民に問いかけただけです。それを、内乱と呼ぶでしょうかー。いや、呼びません。冤罪です。これは、国家が国民を権力で封じ込めようとしている悪しき行為です。」
「そうだー。国家の暴力だ。」
どこからかヤジが飛んできた。被告人を肯定するものだ。そんな声が多数投げかけられた。
「静粛に。弁護人のご意見はいかがですか。」
裁判官Bが慌てて弁護人に言った。
「被告人の無罪を主張します。現に彼の言う通り、被告人は実質的な行為は何も行っていません。物理的に何か国家に対して武力を働く事もなければ、彼自身が傷つけた人々はいません。被告人は言葉を綴っただけなのです。それを実行に移すか写さないかは、それを受け取った受け手の問題であり、国家が抑えきれなかった暴動を被告人に罪を被せているだけでしかありません。」
どこかのドラマを見ているような台詞回しに法廷内は被告人のペースに飲み込まれていく。きっと初めてこの事件のことを知った人は、完全にこれが国家の悪行であると思ってしまうだろう。実際問題、この事件は彼が本当に”内乱”を引き起こしたのかはわからないが。
「被告人は席に戻ってください。それでは、警察官、証拠の取り調べ請求をしてください。」
裁判官Bがそういうと、検察官Bが立ち上がり、スクリーンにスライドを映した。
「これは、被告人が事件当時に映っていた防犯カメラの一部始終です。彼が多くの人々に何かを渡しているのがわかります。ーこのように、被告人は、事件当日にこのような疑わしい行為を行っている。これは、被告人が犯行に関与していることを示しています。」
検察官Bがそういうと、弁護人が声のトーンを上げて言った。
「これは、疑わしいというだけで、なんの証拠もありません。当てつけです。誰だってあのような事件があれば興味も湧きますよ。」
それに反論するように検察官Bは言った。
「しかし、何かを渡す行為を行うでしょうか。それは、何かを指示した文章だったりするのではないのでしょうか。そう考えるのが妥当な気がしますが。」
法廷内がざわつく。それとは対照的に露祺セレンは沈黙のままだった。弁護人が反撃する。
「犯人だと思っている人が疑わしい行為をしたからといって、そこに妥当性を持ち込むのはよくないです。」
「なるほど。文章を渡したことについては、お認めになるんですね。」
検察官Bがニヤリとた。しかし、露祺セレンはだまんまりを続けていた。
「露祺さん、何か言ってください。」
弁護人が露祺セレンにボソッと相槌を入れた。露祺セレンは、少し考えるような仕草をして語り始めた。
「えーっと。僕がこの防犯カメラに写っているかどうかが論点ですよね。文章を渡した渡してないよりも。」
「そうです。」検察官Bが短く答えた。
「これは、間違いなく僕です。文章も渡しました。」露祺セレンははっきりとそう言った。
「お認めになるんですね。」検察官Bがいう。
「ええ。嘘なんてついてもしょうがないですから。」露祺セレンはいう。
「では、質問を続けます。その文章には何が書いてあったんですか。」検察官Bが問う。
「’’肉エキス 10 g, ペプトン 10 g, NaCl 3 g, 寒天末15 g’’って書いてあるメモを渡しました。」露祺セレンがいう。
「なんでそんな物を渡したんですか。それとも何かの暗号ですか。」検察官Bがいう。
「理由ななんてありませんよ。彼がそれを求めたから渡しただけです。」露祺セレンがいう。
「何か毒物の配合する指示書ではないんですか。」検察官Bが問う。
「なるほど。検察官さん。確かにNaClはこの中で一番毒になりますね。」露祺セレンが笑顔で言った。
「貴様、ふざけるな。ここは、法廷だぞ。しっかりと質問に答えろ。」検察官Bが熱くなる。鬼の形相で露祺セレンを見る。
「ふざけてなんかいませんし、真面目です。正直にお答えしているまでです。他に質問ありますか?なければこれ終わっても構わないですか。」露祺セレンが答えた。
「検察官は、何か追加で質問事項はありますか。なければこれで証拠の取り調べ請求を終えようと思います。」裁判官が言った。
こうして、第一審が終了した。露祺セレンという人物は、何者だろうか。私は彼に興味が湧いていた。あれほどの政治事件を犯した犯人が、若き青年だということに私は驚いている。どうにか彼にコンタクトを取ることはできないだろうか。そこで、私は彼に手紙を書いた。’’あなたがどういう人間で何をしたのかが知りたい。あなたに興味がある。’’と短い文章を送った。すると、彼は私と面会することを承諾してくれた。私は、嬉しくなり、すぐに日程を決め、彼と面会することになった。
面会当日。警察官が立ち会いの中、私の目の前には露祺セレンが透明な壁一枚を挟んでいた。私は自分の推しにあっているような感覚になり、少し緊張してしまっている。なかなか話し始められない私に彼は話しかけてきた。
「僕に興味があるということでしたが、一体何に興味があったんですか。」
「えーと。えーと。あなたみたいな、優しそうな人がどうしてあんな事件を起こしたのかとても気になって。それでつい。」
私はもじもじとしながら彼に思いを告げた。
「それでわざわざこんなところまで聞きにきたんですか。」
彼はとても不思議そうに私の方を見てきた。
「はい。」と私は短く彼の言葉に返事を返した。
「なるほど。理解しました。あなたの質問に関してはノーコメントです。今、裁判中ですし、あまりベラベラと色々なことを話さない方がいいので。しかし、僕は逆にあなたに興味が出てきました。」
彼は笑顔で私に話しかけてきた。
「私にですか。」
「ええ。あなたに。」
「私なんて、どこにでもいるような一般人ですよ。」私は髪の毛を触りながらいった。
「確かに一般人です。でも僕の物語の中の重要な登場人物になるかもしれない。」彼はそういった。
「私がですか。そんなことないですよ。」私は思わず彼から目を逸らした。
「それはあなたのこれからの行動次第です。」彼は私の目を見て言った。
「私の行動ー。」私は彼の言った言葉を詠唱した。
「そう。そうです。では、あなたに質問です。あなたは、僕のどこに興味がありますか。」彼はゆっくりと私に問いた。
「私は、あなたに不思議な引力のようなものを感じました。磁石のS極とN極くっつくような、静電気で髪の毛が下敷きにくっつくような。」
「引力ですか。面白い表現ですね。」彼は笑った。
「可笑しいですよね。」私が恐る恐るいうと彼は「そんなことはない。」と言った。
「今のは、言葉の表現が面白いと思っただけです。別に、あなたのその感情を笑ったのです。興味深い笑いであって、可笑しな笑いでないんです。」
彼は真摯に言葉を発していた。賢明な視線が私を安心させようとしていると感じさせる。
「すみません。」私は彼に小さく謝った。こんなことをわざわざ言わせてしまったことに対して。
「なんであなたが謝るんですか。別にあなたは何も悪いことをしていない。むしろ僕は嬉しいんですよ。こうやって自分に興味を持ってくれる人がいて。」
「そうなんですか。」私が尋ねる。
「そうですよ。だって、こんなないもない場所に入れられているわけでしょ。そりゃ、ご飯も食べれるし、適度な運動だってできる。でもね。なかなか他人と触れ合う機会がないんですよ。留置所の人間なんて僕と話そうなんてしないし、ほとんどの時間をこの檻の中で暮らさないといけないなんて、まるで僕は鳥籠の中の鳥ですね。」彼は苦笑いを浮かべながら言った。
「そうなんですね。」なんだか彼のことがますます気になっている気になった。
「そうなんです。だから話し相手が欲しいですね。娯楽も何もないですから。」
「なら、私が露祺さんのお喋りの相手になります。」
彼の少し寂しそうな顔を見たら私はなんだか彼に力を貸したいと自然と思い、言葉を発していた。
「本当ですか。それは嬉しいいな。」彼はとても嬉しそうに手を叩いた。
「ええ。毎日来ます。」私は力強くそう言った。
「じゃあ、楽しみにしていますね。」彼はそう言った。
「時間だー。」
面会が終了したことを告げられた。彼は、無音で「またあした」と口を開けて言った。それに応えるように私は大きく頷いた。
次の日、彼と私の面会の2回目が行われた。昨日に引き続き、私は緊張を隠せない様子でいると、彼は質問をしてくれた。
「あなたは普段どんなお仕事をやっているんですか。」
「アルバイトでメンズ脱毛の施術師をやっています。」
「メンズ脱毛ー。僕もやったことありますよ。」
「そうなんですか。どこの部位ですか。」
「ヒゲですね。剃るのが面倒だったんで。」
「ですよね。男性の方のほとんどがヒゲ脱毛ですもん。」
「そうなんですね。実際どうなんですか。ヒゲ以外の脱毛って。」
「している人はしていますけど、全員やるわけでもないです。だから、最近お客さんの数が減っている感じですね。」
「そうなんですね。確かに、髭に関しては剃るのが面倒だっていうのがありますけど、他の部位だとまあいいかなとか。そんな感じですもんね。芸能人とかインフルエンサーみたいな職業だとする人は多いかもしれませんけど。」
「そうなんですよ。全身脱毛なんて実際やっているのは一部の方だけ。それ以外の方はほとんど髭脱毛だけですね。まあ、そもそも高いじゃないですか。そんな高いお金を払ってまでやるのかっていうのがね。女性なら割引も多いですいし、やる人も多いですが。」
「女性の価格帯の方が安いんですね。」
「もちろん、いろいろな制約とかありますが、基本的に女性の方が一つの箇所でみると安いケースが多いです。」
「勉強になります。僕も、全身やってみようかな。」
「その時はお安くしますよ。」
「それは嬉しいな。」
彼はとてもチャーミングな笑顔で私と会話をしてくれた。日々、SNSの口コミにこの施術しは態度が悪いだの、やり方が下手くそだの文句を書かれている私。所詮アルバイトだからと割り切っているが、人間そんな簡単に割り切れるもんじゃない。彼の優しさに触れて少し、涙が浮かんだ。
「どうしたんですか。」彼が不思議そうに問う。
「いえ。大丈夫です。」
「こんな僕でよければ全然話聞きますよ。」そう彼が言った時、彼の優しさに私は寄りかかってみることにした。
「実は、仕事で施術しているんですけど、お客さんからネットの口コミでクレームを書かれるんです。あの施術師は、下手くそとか。高いお金を払っているのに。詐欺だ。とか。そういう口コミを目にするたびに仕事するのが嫌になって。見ないようにしているんですよ。でも、つい気になってしまって、見てしまうんです。その度に後悔してー。」
「やめようとか思わなかったんですか。」
「それは何度も思いました。でも、やめちゃうとお金がないから生活できないしー。」
「確かに、生活できなくなっちゃうのはとても不安ですよね。」
「そうなんですよ。やめたいけどやめられない。貯金だって数十万くらいしかないし、そんな不安定な状態で、どうやったらいいのかわからなくて。私、生きてる意味あるのかなって。最近思うようになりました。」
「きっと、優しいんですよ。」
「そんなことないです。私、優しくなんか。」
「優しいからこそ他人の意見に耳を傾けたり、小さなことが気になったり。誰かに、不快な思いをさせていないのか気にっしちゃうんですよ。じゃなきゃそこまで他人の意見を気にしませんよ。」
「そういうものなんですかね。」
「僕は、少なくともそう思います。ただ、これが僕の一意見であることは否めませんが。誰かのために気をつかってしまう。そんな経験ありませんか。」
「そうですねー。」私は空を見上げながら自分の人生を思い返す。
「学生の頃、給食で大盛りが好きな子には大盛りで配膳したり、少食な子には小盛りで配膳したりとか。扉を開けるときに後ろの人がいたら先に送り出すとか。ですかね。」
「素敵じゃないですか。優しい人じゃないとそんなことできないです。」
「そんなことないですよ。」私は照れながら言った。
「そんなことありますよ。僕は、そういう人間が報われて欲しいと思っています。」
「そうなんですか。」
「だって、そうじゃないですか。今の世の中、ちょっとずるいくらいが一番得をしている。政治家だって、会社だって、恋愛だって。正しさだけを求めてしまうと、暑苦しいとかうざいと一蹴されてしまう。そうやって、正義が蔑ろにされている社会について心当たりはありませんか。」彼は嘆くように説いた。
「確かに。領収書なしで遊べるお金のある政治家とかもずるいですね。あと、職場でもちょっと愛嬌よく笑ったりとかわがまま言う子のほうが上司に気に入られて昇給したりしています。そう言う子、裏では上司の悪口ばっかり言っているのに。上司はその場の会話のお世辞ばっかり聞いてるからそんな表の面の彼女しか知らない。裏の彼女を知ったらどう思うかなんて。彼女の表と裏を初めて知ったとき、私はとても怖くなったのを覚えています。人間て、ここまで変われるんんだ。って。恋愛でもそうかもしれません。一人の彼氏意外にもセフレを何人も作ったり、パパ活をしている女の子がいたりして、どうして一人の人で満足できないんだろうって。たまに思います。」私は彼の言葉に頷きながら答えた。
「どうしたら、こんな社会が良くなると思いますか。」彼は静かに私に問いた。
「どうしたら・・・。」
私は、彼の言葉を聞いてどうしたらいいのかわからなかった。正直、仕方がないで済んでしまう。そう言う世界なのだ。この世の中には、持つものと持たざる者がいる。私は後者なんだとそう言い聞かせることで私の世界を守っているのだ。
「ごめんなさい。私には、どうしたらなんてわからないです。露祺さんみたいに、何を変えればいいのか、それを変えるために行動できるとかそういったものが私にはないんです。それに、そんなこと考えるよりも今を生きていくことで精一杯なんです。夢を見ることはあっても、それを変えようと思わずに妥協すればいいんです。何かを望めばそれだけ自分の現実が醜く見えるだけ。だから、そんなことを考えないようにしているのかもしれません。」私はそっとそう答えた。
「欲望が薄いんですね。」
彼は短く言った。その言葉の意味は、深いようで単純なようだった。
「そんなことはないです。お金だって欲しいし、洋服やアクセサリーを買いたい気持ちだってあります。旅行だって行きた。人並みに欲望があると思います。」
「でも、それを実現するために行動は行わないんですよね。」
「・・・そうです。」
「僕は、欲望っていうものは、それを実現するための行動まで含めて欲望だと思うんです。」
「どういうことですか。」
「つまり、欲望っていうのはただお金が欲しいと思うことではなく、欲を望みそれのためにどうやってお金を稼ぐのか考えて行動するところまで通して全てが欲望だと思います。」
「だから私は欲望が薄いということなんですね。」
「そうです。」
「もっと欲望を持った方がいいんですか。」
「それは、あなた次第です。自分が望むようになればいいんです。このままの自分を変えたいのであれば、行動すればいい。欲暴にならない程度ならそれでいいんだと思います。」
「時間だー。」
看守がそう告げた。私は、まだ彼と話したかったが仕方ない。「またきます。」と私がいうと彼は笑顔で私の言葉に返事をくれた。それから、帰りの電車の中で私はずっと考えていた。私の欲望について。彼の言葉はどこか無視できない。彼の問いに私は支配されていっているような感覚になった。アパートに帰り着いて鍵を開ける。そんな日常にへも彼の言葉がずっとよぎっている。ご飯を食べる間も、お風呂に入っている間も。ずっとそこに居座っている。そんなとき、私の前に彼女が現れた。
’’彼の問いの答えは見つかったかしら。’’
「まだ。見つからない。私って何を望んでいるのかな。」
’’それは、あなたしかわからない。’’
「それはそうだよね。これは私の問題だものね。」
’’そうね。でも、私の問題でもある。’’
「それはそう。」
’’どうするのかしら。’’
「そうだな。私は、きっとこのまま生きていてもいつかなんかのきっかけで知り合った人と結婚して、そのまま一般的な生活を過ごせるのかな。って思っていたけど、現実は全然違った。日々のバイトに擦り切れながら、とりあえず生きている。なんとなく。生きがいなんて、バイト終わりの缶チューハイを飲みながらドラマを見ること。だけど、私はこのままじゃ嫌だな。もっと、いい人生を歩みたい。人並み以上な人生を過ごしたい。」
’’それはどんな人生なの?’’
「たとえば、このSNSに載っている人。ブランド物のバックや高級なお寿司、タワーマンションの生活。こんなものを望んでもいいのかな。」
’’それがあなたの望むものならいいんじゃない。’’
「そんな突き放した言い方しないでよ。あなたも私なのに。」
’’だってそれは、自分自身に嘘をついているだけじゃない。’’
「嘘だなんて。だって、これが私が望んでいることなのに。」
’’本当は、そんなものじゃないはずだよ。私が望むものは’’
「・・・・。」
私は、静寂が広がる1Kの部屋で灯りもつけずに佇んでいた。辛辣にまで感じる彼女の声が身体の中で響く。そうだよ。誰だって簡単なものに縋りたいんだ。目に見えてわかるものが欲しいって。だけど、それは本当に自分が望んでいるものでないことも分かる。他人よりも良い人生を見せたい。そういう自分が心の中で溢れている。私は、冷蔵庫からリンゴジュースを取り出し、コップに注ぎそれを飲んだ。チビチビと。大切に。手元のスマートフォンからSNSを見ると、妬ましいほどに結婚生活の写真やどこかへ旅行に行っている写真、美味しそうな料理などが私の不幸が覆い尽くしていた。「見るんじゃなかった。」という気持ちがより一層、自分の心を曇らせる。どうして自分はこんな風にしか生きられないのだろうか。誰かと幸せに結婚する未来があったのだろうか。私も過去にお付き合いをしていた人がいないわけでもない。ただ、それがどうしても長続きはしないのだ。友達の恋人は高級フレンチに連れていってくれた。ハワイ旅行に恋人と行った。高価なジュエリーを誕生日に買ってもらった。周りの人のそんな言葉を聞くたびに、「どうして私にはこういう幸せはないんだろう。」と思うことがよくある。私にもそれなりの幸せを分け与えてもいいのに。そんなことを思うと、惰性で付き合っているような感覚になり、「この人が運命じゃない。」なんて思うのだ。田舎の不自由から逃げるために都会に出てきたのに、結局他人の幸せに踊らされて不自由になっている。
「自分で道を切り開けるような人になりたい。」
ボソっと口から溢れた。目にみえる闇が心を覆う。そろそろ電気をつけた方がいいだろうと思い、蛍光灯のスイッチを入れる。光が私を照らした時、ピカんと浮かんだのだ。
「’’彼みたいになりたい。」’’
「彼のように自分で道を切り開けるような人になりたい。。」
’’彼のように、何かを変えられるような存在になりたい。’’
私の中の感情が光のように弾けた。無彩の光が心を照らし、心の雲をどこかへ追いやった。私は、胸に決意した。
それから、私と彼はほぼ毎日のように面会に行った。彼は私が来ると嬉しそうに言った。彼から差し入れで本が欲しいと言われたのでたまに持っていった。そして、ある時彼にこう告げた。
「私はあなたのようになりたい。あなたのように自らの意思で切り開いてい強い人に。」
彼はその言葉を黙ってき言いていた。
「どうしたら、私はあなたのようになれますか。」
私はオタクが推しに会った時のように無性に早口に、けれど自分の思いを正確に伝えた。彼は、にっこりとして私に笑顔を返してくれた。
「あなたが、いつかそういうんじゃないかと思っていました。」
「え。そうなんですか。」
私は驚いた。でも、きっと彼はきっと待っていたのだ。私が次のルドラになることを。夢半ばで倒れてしまった彼の夢の続きを私が代弁者として成してくれることを。
「あ、そうそう。先日、差し入れしてくれた本を返却します。ありがとうございました。とても、有意義な時間が取れました。できれば、あなたも読んでみるといいと思いますよ。」
そう言って彼は、私が差し入れした本を私に返却した。
「看守さん。そろそろ時間ですが、もう少しお時間もらってもいいですか。」
「もちろん。いいですよ。気が済むまでお話しなさってください。」
「ありがとう。」
彼は看守と短い会話を済ませて、再び私に向き合った。
「僕は、思うんですよ。今の日本人は沈黙しているようで叫んでいる。特に、選挙なんてそうだと思います。民意を反映する民主主義なんて言っていますが、実際のところ母集団の大多数を占める人の民意で構成されている。つまりは、高齢者ですが、そう言った数の暴力に屈してしまうんです。年齢によって生きる価値観や望むものが違うはずなのに、それは無常にも反映されない。ルドラ事件はそういったものを具象化したものだと思います。今の時代、民主主義や多数決の原則なんてものが通用しないフェイズに入っているんです。時代遅れの制度のままでは、きっと社会は衰退してしまう。機能不全の制度を変えたい。あなたたちにはその力がある。変えてください。この社会を。」
彼の切実な叫びを胸にして私は決意した。私が’’ルドラ’’になるのだと。