馬鹿にされても愛想笑いでやり過ごすようになった話
〜今日気づいた事〜
これまでの人生で私は他人が私を馬鹿にする事
を他人に許可し続けてきたのだなとふと気づきました
本当は傷ついているのに
怒りさえこみ上げて来るのに
笑ってごまかしてその場を済まして
自分を苦しめてた
その理由は随分前から薄々分かっていたな。。という話。
子供の頃、友達に馬鹿にされて本気になって怒った事がある
「そんな言い方やめて。」
「馬鹿にしないで。」
「そんな事あなたに言われる筋合いはない。」
と、そうしたら
「マヂになるなよ。」
「冗談じゃないか。」
「こんな事でそんなに怒る方がおかしいぞ。」
「冗談もわからない奴なんだな。」
と、返されて
何も言えなくなった
これ以上怒ると、さらにおかしな奴だと言われるに違いないし
こんな事で怒る私がおかしいのではないか?
こんな事でマヂになる私が変なのではないか?
と考えるようになった
私は私の権利や名誉の為に立ち上がって声をあげたのにね
今思うと友人のこの切り返しは
相手の人格を否定し自分の事は正当化する為には完璧な言葉で
もう何も言えない、これ以上何かを言ってもさらに辱めを受けるだけ。。
という状況に陥る
こんな風に畳み掛けられると
これ以上反論しても無駄なエネルギーを使うしそんな奴はもう相手にしない、もう関わらない
距離をとる
というのが今思うと得策だったのかもしれない。でも当時の私は。。
その友人に嫌われる事や陰口を言われる事を恐れたのもあるけど
それよりも
真剣になる事を馬鹿にされ
これくらいの事で怒る事がおかしいと言われて
馬鹿にされても笑ってやり過ごして
平気に振る舞わないと(社会で)生きていけない。
絶望を感じたと共に
「馬鹿にされた時の反応の仕方」を身につけなければ。。と思ったのです
「お前はおかしい」とか「変」とか言われても
「それでも私は大丈夫」とか
「私の価値が減るわけじゃない」とか
「私は私の為に声を上げられたんだから私は私を誇りに思う」とか
とてもこんな風には思えなかった
他人の評価=自分の価値
だと信じていた
自分が自分をどう思うか(自分が自分を評価する)
という指針は持ち合わせて無かった
「馬鹿にされた時の反応の仕方」
を大昔に身につけ今までメンテナンスもせず何も考えず
今まで反射的に愛想笑いでやり過ごしてきたな。。
そんな事に気づく事ができた。
そんな日でした。
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