私達は毎日何気なくとても高度な事を繰り返ししているのだなとふと思った 他者と対峙する中で、何かが不安で何かが怖い。この何かの正体を知りたい 私は一体何に怯えて何に支配されて日々過ごしているのか 何十年と生きた事で蓄積された経験 そこから弾き出される反応、この反応が煩わしくなって違和感として湧き上がってきた はっきりとした意思表示をしたくなくて有耶無耶にしたいがために用いる愛想笑いとか。自信のなさを醸したくて語尾が弛んだだらしない発音とか。異様な速さで打つ相槌とか。
〜今日気づいた事〜 これまでの人生で私は他人が私を馬鹿にする事 を他人に許可し続けてきたのだなとふと気づきました 本当は傷ついているのに 怒りさえこみ上げて来るのに 笑ってごまかしてその場を済まして 自分を苦しめてた その理由は随分前から薄々分かっていたな。。という話。 子供の頃、友達に馬鹿にされて本気になって怒った事がある 「そんな言い方やめて。」 「馬鹿にしないで。」 「そんな事あなたに言われる筋合いはない。」 と、そうしたら 「マヂになるなよ。」 「冗談じゃ
私は私の心と身体を恥じていた。 抱きたくない感情を抱いてしまう「心」を恥じ、 お腹が空いたり、尿意を感じてしまう「身体」も恥じ、そして 私は私に「人間らしさ」があることを恥じていた。 心と身体の存在を蔑ろにしていた 私が生きのびる為に心と身体が在る事は都合が悪かったんです 生きのびる為、周囲に同調・同化する都合の良い心と身体しか要らなかった 世界がとても恐ろしいものにしか見えなかったからだと思います 安らぎや癒しを得る権利がないと思っていた 私は人間じゃないと思ってい
決めつけて話をするという事 こうに決まってる。真実はこうであるに違いない。と話を固めて進めた方が楽だよな 何かを基にしないと強い主張はできなくなる 色んな可能性を考えだしたら話が進まなくなる 確かにそうなんだけど そこに愛はあるんか と言いたくなるのは余計なお世話だろうか
怖さ不安 とは私が死ぬまで一生付き合っていかなきゃいけないんだ 不安に覆われちゃダメよ 怖さで身動きが取れなくなるのもダメ 怖さ不安にどっぷりはまって世界が歪んで見えるなんてもっとダメよ 怖さ不安を手放すんじゃなく 感じないようにと無理をするのでもなく 私の味方になってね とお願いすることにしよう 私に世界を見せてください 私らしく生きていけるように見守ってください 私がこの世界で立っていられるように
絶対だと思っていた何かが 大幅に、根本的に間違っていたとしたら その何かに気付く機会すら与えられなかったとしたら。。 人生最後の日には この世界の 秘密 しくみ について ある学問を学んだ先の 理解や 豊かさ のように 種明かしを用意しておいてほしい ちっぽけな私の体と脳の活動域を超えたスケールの 世界の秘密の開示 そんな 可能性の空間で遊べたら 今なら 今こそ死にたい と思えるかな 私は何を欲するのか という話 どんな変容が私の身体に起きようと 私の中から私を
私が存在するという事は その場に 形を有して在るという事で 外と内が存在すると同時に そこには境界線も存在するという事で 呼吸をするだけで気持ちがいいなんて 呼吸をするだけで満ち足りてると感じるなんて 生きてる事がダイレクトに快感になるなんて 存在を確かめるように 「息をする」事で 私は私を取り戻せる 何度だって呼び覚ませる #自己と他者#hsp#自己受容#解離性障害#五感#物理#法則#宇宙#運命# 畏敬の念#自己と他者#哲学#言語学#脳科学#自然#達観#傍観
あれもこれも 全ては決まっていたなんて 自分で選んだつもりになっているだけなんて 思いたくないじゃないか ある状況から受ける刺激 その刺激からの私の反射反応 それと酷似した状況から受ける刺激であっても 学習によって 反射反応を変えられる自由はある 反射反応の衝動を「否定」できる自由はあるのだという考え方 自動的に脳から発生したアイデアを 目の前の問題に繋げるか繋げないかを選ぶ事ができる自由がある 点と点が線で結ばれる瞬間 世界が変わって見える瞬間の あの高揚感を味わ
自分を恥ずかしく思うという事 「穴があったら入りたい」 という言葉を初めて聞いた時の事を覚えています 辱めを受け 見下され バカにされ 笑われる 「こんな私」に入られる穴を不憫に思いました すると「こんな恥ずかしい私」 と共にあるこの「肉体」も不憫に思えてくるわけです それなら存在をマルっと消してしまうほか無いじゃないかという事で そのようにしました 私は私に 申し訳ない と思いました 私が辱めを受けるのは私のせいたのだから 私の体現する世界の一切を私が背負いま
問題に対しての緊張感 それが失われない限り 考えるという行為が止まることはない 問題に対しての緊張感が失われずに かすかな声に耳を澄まし 交わりそうもなかった地点をつなぎ合わせて 手繰りよせたものが それなのだろう それが美しいモノであってほしい
雨は地面から湧き上がってくるもの あなたは「雨は天から地に降るものだ」と言うけれど 私達にはわからない だって私達雨の日はとても気分がいいんだもの 私達も雨粒と一緒に昇っていけそうな気がするから あなたがいくら私達を理解できなくて馬鹿にしたり嘘つきだと否定しても 私達はあなたを嘘つき呼ばわりなんかしやしない それほど、私達とあなたが見ている世界は違っているということなのでしょう 雨は地面から湧き上がるもの 狂ってるというなら 「それはあなたも」と 直接は言わないだ
特定の誰かが私目掛けて発した言葉だったり 不特定多数が発していて直接私に向けられた言葉でなくても 言葉による傷を負った経験は数え切れないほどある でも"言葉で傷つく"という仕組みに疑問がある 言葉で傷つく意味がわからない その言葉は投げかけた人間の世界でまかり通っている言葉に過ぎず、投げかけた人間がその言葉を使用することを了解したに過ぎない 私の世界で使用されない言葉だったので驚いた。という意味ならわかるのだけど"私が傷つく"意味がわからない(傷ついてはいるのだけど)
とても 極端 にも 生きてはいけず 調和をはかり 落とし所を探して生きていくしかないのか 理由もなくただ佇む ということを 非難されるような世の中で 誰が何処にどう在ろうと 期待も執着もしないで その存在をただ尊ぶということが どうも難しく 「こう在るべき」という言葉に人は殺され 自らに課した「こう在るべき」でもって 自らにも殺されうる
私の中で検討されていない問題がたくさんあることに気づいた 良い加減なことは言いたくないのだけど 沈黙を貫けば他人と関われない 時間をかけて真面目に検討していると 「考えすぎだ」「神経質だ」という事になる 適当に「それなりの答えを持っている風」に振る舞って生きていかないと この世界では生きられそうにないので 検討中の問題達は私に蔑ろにされ続けてきた 問題を解くための時間を 暮らしを営むために充てていた時間から捻出していいのだと今まで気づかなかった 頭を悩ませる為に私の人生
私は家から一歩外に出ると反射的に前進に鋼のベールを纏うイメージを持つ そんな重くて煩わしいもの纏いたくないんだけれど、「外には私の存在を否定するものしかいない。」「この世界は敵ばかり。」「すれ違う人と目が合っただけで私はその人に害をもたらされるに違いない」 自意識が強く妄想も孕んでいるしなんて異常な反応だろう と思いはすれど 外に出た瞬間、すれ違った一瞬、で刺激に対してこんな風に反応してしまう 刺激に敏感になってしまうのは「自分の存在に自信を無くしている」状態で自己
何か大きいもの 「無」 が迫ってきていても私は医者に行く 毎日決まってご飯を食べる 途方もなく永く人生は続くわけではないのに 死なないように努める 空間に留まろうとする 「生きている」という状態を成立させようとする