何を持っているの
この世に生まれたことの不思議
私はあなたではないようだし
あなたも私ではないようだ
なんて当たり前のことだろう
疑問を持つことをしなかったトピックの一つで
今迄深く掘り下げることをしてこなかった
自己と他者という明確な境界は
心地よくもあり 時に切なくもある
私の体は私のもので
私の心は私のもので
侵害を許すことはできない
私はあなたになってこの世界で戦うことはできない
逆も同じ
ちょいと一年ばかし私をやってて、頼んだよ!
なんて誰にも引き受けてもらえない
私は私に責任を待って生きていくことを私が要求している
今迄責任って言葉を聞くと
重苦しいイメージが先行して苦手意識があった
全責任はあなたにあるのだからとか
最後まで責任もってやり遂げなさいとか
どう責任取るんだとか
責任て言葉のネガティブな使われ方が蔓延ってて
責任て言葉そのものを拒絶しがちだった
責任ってもっと喜ばしいことであるべきだ
誰の言うことも聞かなくていいよ の代償が責任なら
好きなことしてもいいよ の代償が責任なら
責任を問われている状況というのは 私は自由である という状況に他ならない
責任と自由は対になるはずだ
お前の好きにしていいけど、どうなっても知らないぞ、自分で責任取れよ。
と脅されても 私は自由なのだという実感を生む言葉にしか変換できなくなった
勿論これは私にとって善いことだ
責任を問われることは
私が自由であるという実感を生むと同時に
私はいつだって自由にふるまってよいという事だ
私はあなたではないのだし
あなたも私ではないのだし
各々 自由に在ろう
責任の概念が揺らいだ瞬間を味わったお話
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