フェルナンド・ペソア『ペソア詩集』(澤田 直訳)

本人と彼の三人の代表的異名者(アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポス)たちの代表作を収録している。/

澤田先生が解説で言っているペソア・ウィルスという点で言えば、『不安の書』(高橋都彦訳/新思索社)の方が数段多かったのではないか?
感染者の一人としては、同書に比べるとやや食い足りなかった。
もちろん、期待が大き過ぎたせいだとは思うが。/

【ペソア・ウィルスとでも呼ぶべきものが確かに存在する。

ー中略ー

ペソアの作品の魅力は、その一句一行が他人の書いたものとはとうてい思えず、これを書いたのは自分ではないかという気にさせる点と不可分である。ここには自分の話が書かれている、これは自分と同じだ、などと思ったことがあったらペソア・ウィルスに冒されたと疑ってみたほうがよい。】(澤田直「解説」)/


◯フェルナンド・ペソア詩篇:
【何ものかであることは牢獄だ 
自分であることは 存在しないことだ 
逃げながら わたしは生きるだろうーー
より生き生きと ほんとうに】〈(わたしは逃亡者‥‥)〉/


◯アルヴァロ・デ・カンポス詩篇:
【おれは何者でもない 
けっして何者にもならないだろう 
何者でもないことを欲することはできない 
それを別にすれば おれのなかに世界のすべての夢がある 

ー中略ー

おれは すべてに失敗した 
だが計画などなかったから すべてとは無のことだろう 
徒弟奉公に出されたが 
裏口から逃げ出した 

ー中略ー

でも おれは屋根裏の住人 おそらく一生そうなのだ 
ほんとうに屋根裏部屋に住んでいるわけではないけれど 
いつでも 「別のことをやるために生まれてきた人間なのだ」 
いつでも「やればできるかもしれない人間なのだ」】(「煙草屋」)/


ペソアの異名者たちは、ヴァージニア・ウルフの『波』の六人のキャラクターたちが作品の中でのみ生命を得ているのと異なり、実生活においても、詩や作品を発表したり、恋人に手紙を書いたりしている。
一方、ダニエル・キイス 『24人のビリー・ミリガン』※におけるビリー・ミリガンの人格たちが、対面の対人関係においても交替で現れるのとも異なり、他人との対面の関係において外に現れることはない。/

※『24人のビリー・ミリガン』:
1977年にオハイオ州で連続レイプ犯として逮捕されたのちに解離性同一性障害を訴えて無罪となったビリー・ミリガンを描いたノンフィクション。/


【異名者の起源には、私のうちにあるヒステリーの深い痕跡があります。たんなるヒステリーなのか、(略)ヒステリー性神経衰弱なのかはわかりません。どちらかと言えば、後者ではないかと思います。というのは、私には意志欠如の現象が見られますが、これはたんなるヒステリーの場合には見られない徴候だからです。いずれにせよ、異名者の心的起源としては、私の離人症および偽装への器質的で恒常的な傾向があります。】(澤田直編訳「ペソア散文抄」)/

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