フランツ・カフカ『変身』(川島隆訳)
訳者である川島隆さんのイベント「カフカ『変身』精読」に参加するので再読した。
今回は、同じ「虫けら」の端くれとして、思う存分羽根を伸ばして読んでみたい。
まあ、あまり羽根を伸ばし過ぎると、しまいにどこかへ飛んでいってしまう怖れがあるかも知れないが。/
グレゴール・ザムザは、ある朝、「虫けら」となった自分を見いだす。
僕たちも、人生で何事か掟破りの行動をとってしまった時などに、こう呼ばれることがある。
「人でなし」、「人間じゃねぇ」などと。
また、それが妻帯者であった場合には、「ゴキブリ亭主」などと呼ばれる。
ここに出てくる「虫けら」は、その嫌われ方をみても、案外ゴキブリのようなものなのかも知れない。
それにしては、少し動きがのそのそし過ぎているような気もするが。
「スローなゴキ」といったところか。/
冗談はさておき、物語を読んで僕の脳裏に浮かんでくる「虫けら」のイメージはカブトムシのような姿だが、角については何も描かれていないので、これはどうやらなさそうだ。
いかにも鈍重なその動きにしても、カブトムシならしっくり来る。
裏返しにひっくり返ってしまったカブトムシが必死に足をバタつかせているあの姿。
家族が抱く強い嫌悪感から考えると、カブトムシよりもゴキブリの方がぴったりなのだが。
まあ、カブトムシにしたところで、手のひらサイズだから捕まえてきて飼ったりもできるが、人間と同じサイズのとなると、誰も飼ってみようなどとは思うまい。/
虫の側に立てば、掟に生きる者はすべて虚しい。
だが、人は社会をつくり、社会は掟をつくる。
ふと「掟の門前」が脳裏に浮かぶ。
カフカもまた、掟の外側で生きたのだろうか?
カフカを自分と同じ側に引き寄せてしまいたいという強い誘惑に駆られる。/
この物語は変身譚だが、ギリシャ神話などに変身譚は数あれど、虫に変身するというのを僕はあまり知らない。
映画なら「ザ・フライ」というのがあったが…
そういえば、森高 千里の歌に「ハエ男」っていう歌があったっけ。
僕が、グレゴールに異様な親近感を抱いてしまうのは、やはり僕自身「ゴキブリ亭主」であるせいだろうか?/
今回は、読むほどに全編に横溢するスラップスティックなユーモアを感じた。
おもしろうてやがて悲しきカフカかな。/
巻末の訳者解説も、「変身」の出版に至るまでの経緯や、フェリーツェ・バウアーとの恋のゆくえなどの興味深いエピソードや、高橋義孝、池内紀、多和田葉子などの他の訳との差異など作品理解に役立つ情報が満載だ。/
昨日の川島先生のイベントの質疑応答を聞いていて、父が投げたリンゴによる背中の傷が、ある種のスティグマのように思えてきた。
イベントの終了間際にふと思いついてコメントしてみたが、川島先生はスティグマを宗教的なものとして捉えられたようだ。
僕は、エリザベス救貧法の頃に浮浪者の胸に押されたVの字の烙印のような社会的なものをイメージしていたのだが、言葉が足りずに時間切れとなってしまった。/
【ある朝、グレゴール・ザムザが落ち着かない夢にうなされて目覚めると、自分がベッドの中で化け物じみた図体の虫けらに姿を変えていることに気がついた。甲殻のような硬い背中を下にして仰向けになっており、頭を少し持ち上げると、弓なりの段々模様で区切られた丸っこい茶色の腹が見えた。腹のてっぺんに掛け布団が、完全にずり落ちる寸前で、かろうじて引っかかっている。全身のサイズからして見劣りする、かぼそい肢がたくさん、頼りなげに目の前でチラチラうごめいていた。】
—『変身 (角川文庫)』フランツ・カフカ, 川島 隆著
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?