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「家のなり怠りそね」 だから私は今日も働く
24時間、何かしら「書くこと」について考えている。これはネタになりそうだなとか、これはあのことと結びつけて書くと面白そうだな、とか。
いつか独立してライター1本で生活できるようになりたいと思っていた。実際、今年2月に受けた「さとゆみ」さんこと佐藤友美さんのライティング道場で『1年後にどうなりたいか』を聞かれた時には「ライターとして独立すること」と答えた。
フリーランスの良さについては、たくさんのインフルエンサーが発信している。満員の通勤電車に乗らなくていいとか、めんどくさい職場の人間関係に振り回されなくなるとか、好きな場所で好きな時に仕事できる、とか。
それは確かにメリットではある。それがなくなったら精神的には格段に楽になるだろう。
だけど、私は仕事を続けることにした。今のところ。
そう思うようになったのは近藤康太郎さんの著書「ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論 」を読んだから。
「第一夜〈仕事〉」の項で近藤さんはチェーホフや森鴎外、本居宣長ら文豪たちの例を出してこう書いている。
好きなこと一本で食っていける人は、例外中の例外だということです。
そして、タイトルにある本居宣長の和歌を引用している。
家のなりな怠りそねみやびをの書はよむとも歌はよむとも
「食うための業(なり)、自分と家族のための業を決して怠るな」として、本居宣長はずっと医師としての仕事をやめなかったと。そして、その仕事で得たお金を自分のライフワークであった国学の研究を続けるために使ったと。
近藤さん自身も会社員である。朝日新聞の記者として記事を書き、猟師、農業もしながらライターとして活動しておられる。
「ずっと書き続けたいなら会社員をやめるな」と近藤さんは言う。本業は「書くこと」だとしても生業としての仕事を持っていていい、と。
独立して、それ一本で生活できなければ「ライター」と名乗る資格はないと思っていた。だから、ライターです、と自分を紹介する時にはちょっと遠慮がちになる。XなどSNSで「ライターとは」と発信することに気後れしてしまう。
この部分は以前、近藤康太郎さんのライティング講座「三行塾」でも話されていたことだったから覚えてはいたけれど、文字で読むことのインパクトは大きかった。何回も何回もここを読み、本にはドッグイヤーがつき、付箋と傍線だらけになった。
生業としての仕事を続けることだけではない。ライターとして「書く」ものについても少し考え方が変わった。
SEO記事を書くのがあまり好きではない。書いていてあまりワクワクしない。すでにある情報を集めてきてまとめる。整える。そういうライティングにちょっと飽きていた。
違う。私が書きたいものはこういうのじゃない。読む人をワクワクさせて、読み終わったあともずっと頭の中にその文章が残っていて、考え方や時には生き方さえも変えてしまうような、そんな文章が書きたいのに。近藤先生のように。さとゆみさんのように。
けれど、これも「家の業」だと思うようになったらまた書けるようになった。私がワクワクしようがしまいが、この記事を必要としている人がいるなら書こうじゃないか。それで私は生活費を得ることができる。このお金で、また近藤先生やさとゆみさんの講義を受けることができる。ウィンウィンやん!
かくして、今日も私は働く。生業としての仕事をす。
家のなりな怠りそ。
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