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【読書記録】なぜ働いていると本が読めなくなるのか
本の題名を知ったとき、これは読まねば!となりました!
そう、私が働いていたとき、『本が読めないな』と感じていたから。
流石に、著者と異なり、仕事を辞めるとい選択肢は取れませんでしたが(笑)
当時、ゲームやスマホを触ったり、漫画を読んだりはできていたのです。
でも、小学校〜大学まで、定期的に活字の本を読んでいたはずの自分が、いつの間にか気がついたら、『本が読めなく』なっていた。
小学校の時は、学校の図書館の児童書を読み漁っていましたし、中学校〜大学まではラノベや宇宙・科学の書籍を読むのが、自分の生活の一部だったはずなのに。
社会人になり、仕事に打ち込むようになり、本屋には足を運んでいたものの、手に取るのは漫画や仕事関係の書籍。気がついたら、活字の本を読まなくなっていた。
『読めなく』なっていたのだと思う。
いまだに、その感覚はある。
書籍の中で、本を読むことは『知識』に触れることだ
スマホやyoutubeを見ることは『情報』を得ることだ
というような話をしていた。
なるほど。と思った。
最近、本を読むようになって、この部分はいらなくない??と、読み飛ばしてしまうことが多いなと感じる。
『情報』という、切り出され、洗練された『要点』。
それを得ることが重要だと考え、『明文できる答え』を得ようとしているからこそ、そう感じるのだろう。
答えに行き着くまでの、『過程』を余計なものとして、排除したくなっているのだと思う。
忙しなく働いてきて、効率化や無駄を省かなければいけないという、社会人生活の中で身についてしまった習慣ではないだろうか。
この本では『ノイズ』として表現していたが、一見無駄と思えるようなことが、私たちの生活を豊かにしてくれているははずなのに、それを削ぎ落としてしまったら、そこに何が残るのだろうか?
強制されていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」
新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。
むしろ競争心を煽ることで、あくまで「自分から」戦いに参加させようとする。なぜなら新自由主義は自己責任と自己決定を重視するからだ。だからこそ現代において———私たちが戦う理由は、自分が望むから、なのだ。
戦いを望み続けた自己はどうなるのだろう?
疲れるのだ。
その結果として人は、鬱病や、燃え尽き症候群といった、精神疾患に至る。
ハンが名付けた「疲労社会」とは、鬱病になりやすい社会のことを指す。
それは決して外部から支配された結果、疲れるのではない。むしろ自分から「もっとできる」「もっと頑張れる」と思い続けて、自発的に頑張りすぎて疲れてしまうのだ。
まさに、その通りだなって。
なんとか酷くなる前に逃げることができたが、実際、私も軽い鬱になった。
『強い強制』があったわけではない。
でも、成果を出さないといけない、自分は頭がいいわけでも、器用なわけでもないから、『頑張らないと!!』
そうでなければ、私は『価値のない人間』になってしまう。
そんな強迫観念に駆られていた。
その不安から逃げるために、何も考えず熱中できるゲームに逃げ込んで時間を消費して、寝る時間を削って、心と身体を崩すということになってしまったわけなのだが。
もし、『本を読める』ぐらいの余裕があったらなら、ここまでには至らなかったのではないか??
本を読むことは『余裕』のあることなのだろうが、その『余裕』は無くしてはならないものではなかったのか?
こうやって、過去を振り返ってみると、私が身体を壊しかけたのは当然の結果だったように思う。
本の中で、著者は
『全身全霊』をやめませんか?
と、提案している。そして、本の最後を
半身で働こう。それが可能な社会にしよう。
本書の結論は、ここにある。
という言葉で締めくくっている。
共感しかない。できれば、そんな社会にしたい!!
社会を変えるのは簡単なことではない。だから、まずは自分自身できること、半身で働けるように活動していけたらと思う。
もしかしたら、誤った道を進むことになるのかも知れない。
それでもやってみようと思う。
過去は変えられないし、負った傷は完全に治るわけではないのだけれど、それまでの経験があるからこそ、できることもあるわけで!
『会社』の中にいてはできなかったことが、今いろいろ出来ている。
このまま続けられるかは、まだ不透明ではあるけれど、光がないわけでもないと感じられるから。
これからも、
『無理せず頑張る!』
を、モットーに生きていきたいと思います!
余談
ふと、会社員時代を思い出して。
一応、会社としても、アンケート定期的に取ったり、話をしたりと、全く対策打ってなかったわけではないが、アンケート結果から何か対策が打たれるわけでもなく、上司に『しんどいです』と伝えても、状況が変わるわけでもなく。『会社』というものから、一度離れないといけないという結論に私は至った。
社会が疲弊させるなら、社会が休ませるということもしていかなければ、この悪循環は断ち切れないのではないだろうか?
どんどん、疲弊した人間が増えていくのではないだろうか?
それは、結果的に社会的損失へとつながっていくのではないだろうか?
ドロップアウトしてしまったが、ちょうど経験を積んでこれから活躍という可能性もあったと考えると、勿体無かったな〜とも思うし、何があったら、どんな助けがあったら、自分はあの場に居続けることができたのだろうか?
もうちょい生きやすい社会になってほしいな。
そうしていけたらいいな。