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もう少しだけ、自分を許せるように

こんばんは。
9月になったところで、少しこの夏休みの記憶の整理をしようと思います。

***
正直に言う。
この夏休みの記憶は、ほとんど皆無に等しい。

夏休み始まってからの約3週間は、病み散らかしていた。
だから、その時の記憶だけすっぽりと抜けている。
何とか当時の写真を見て朧げに覚えているかなー程度。
あれ?私、この人とこんなところ行ってたっけ?ってことが多い...。悲しいかな。

でも、それでも病んでた中でも、オーキャンのお手伝いは2回ともやりきったし、インターンシップだって2社ともやりきった。
できたことだってちゃんとあった。

できなかったことばかりに目を向けると、夏休み半分無駄にしたっていう絶望しかないけど、それじゃああまりにも悲しすぎる...。
だから、できたことにも目を向けてあげてね、自分。

夏休み、残りの1週間でボランティアに参加しようとしているし、まだ時間はあるんだから、きっと大丈夫。
どうにかなる。

明日は、というか日付変わったから今日か。
友だちとご飯食べに行ってきます✨☺️
それがすーごく楽しみです。
本当に本当に楽しみ。

今の今まで、何とか生きていてくれて、死なないでいてくれて、ありがとう。私。
過去のあなたが生きることを選択してくれたから、今の私があるんだよ。
本当にありがとうね。

生きる理由って、何なんだろうなって、この夏休みに、よく考えてました。
病んでいる時ほどこういうこと考えがち。
でも、そんなものなんだっていいと思ってる。
友だちと美味しいご飯食べに行くためとか、好きでやってるオーキャンのお手伝い続けていくためとか、そんなんでいいんじゃないかなって、思いました。
それ以外は全部、付属品、おまけなんだって。

それと、授業.課題.試験について、この夏休みを通して1つ、思ったことがあります。

私は、これらに対して「大変」だと思ったとしても、それを口に出すことに、すごく抵抗があります。
なぜなら、それらは私にとって、受験資格を得るための必要最低限の努力だと思っている節があるから。
それらをこなせるだけの力がないということは、それ乃ち、受験資格を得ることができない、それはつまり、自分には向いてないというのも同然。
必要最低限だから、「やって当たり前、できて当たり前」だと、自分自身が思っているし、そういうふうに思い込んでいるから。
だから、それらに対して「大変」だというのはすごく烏滸がましいというか、私なんかが口にしてはいけない...って思ってしまうんです。

オーキャンのお手伝いで、「学生生活で大変なことはなんですか?」ってよく聞かれる。
それに対して周りの学生は、口を揃えて授業.課題.試験が大変だと言います。
でも私は、仮にそう思っていたとしてもそれを決して口には出せないんです。
何だか、出してはいけないような気がして。

だから、それを「大変」と口にできる彼女らが羨ましい..と思ってしまう。
そんなこと口が裂けても言わないけど。
そんなこと言ったら、一体何人を敵に回すことになるのだろう...。
恐ろしすぎる。

でもそれで自分のこと追い込んで、結果的に倒れかけるまでいったから、抱え込み過ぎるのもよくないんだなって、学びました。
そして、この4月-8月で、私は2度ほど、自分の命を絶とうとしました。
でも、未遂にも届いていません。
苦しくなって、途中でやめたからです。
自殺未遂1歩手前、と言ったところでしょうか。

私の場合、本当に落ちるところまで落ちると、死のうとするんだなってことを学べた。
だからこそ、この「大変」を口にするかどうか、もっと寛容になる必要があるのかなとも思うのです...。
難しいけど。
もう少しだけ、自分を許せるようになるといいなって、思います。
***

ばいばい、8月。
これからよろしくね、9月。

読んでくださってありがとうございます。

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