見出し画像

22歳 無職の私、内定に対して思うこと

4月に入社したばかりの新入社員が、1カ月足らずで会社を辞めると言うネットニュースを、ここ最近目にする機会が多い。アルゴリズムでそうなっているのは、否めない。

それでも気にかかっては、その記事を閲覧してしまう。そしてそれを読み流していて、私は何とも言えない気持ちになった。


思うことがある。

ただ、無職の浮浪者がこんなことを思う資格は無い。それでも、ここに書くだけならば、許されるだろうか。

それは、内定について、必ずしも「早いなら早いほどいい」と言うことでもないんじゃないか…?と言うことだ。

YouTubeの広告に流れてくるのは、26卒(今の大学3年生?)に対する、情報収集のきっかけになりそうな企業説明会の所在であるとか、先日はnoteを流し見していた際、既に26卒の内定者がいる?その人へのインタビュー記事のようなものまで、点在している現状があって。

就活をしている人に対して、そして自分自身についても、

情報に踊らされるな、その波に溺れるな、焦るな

と、私は強く思う。かく言う私は、今年の3月に大学を卒業し、挙句、無職街道なのだが。

しかし、最近の社会の動向を見ていると、

「内定は早ければいい」

ーあたかも、それが普通で、絶対唯一の正解であるかのように謳っているような。そんな気が、私にはどうにもしてしまうのだ。

私はそんな社会の風潮に対して、真っ向からNOを示したい。ともすればそれが、負け犬の遠吠えなのだとしても。怠惰な人間の戯言なのだとしても。

ここからは私の、一個人としての私見だ。

数年後の自分の理想像‐こう在りたいなんて姿のイメージ‐を、誰ができるだろうか。

それもモラトリアム真っ只中にいる人間に、たかだが数年間だけで、決められるはずもないと。私は自分の経験から、そう思っている。

私自身、それを4年間では、決められなかった。

私は福祉の国家資格の取得を目指して、とある私大の社会福祉学科に入学した。福祉に関する数多くの専門科目を学ぶのは、心から楽しかった。

ただ厄介な私の性質…完璧主義と白黒思考の度合いが過度になり、加えてもとから持ち合わせていた、うつ状態が悪化した3年の秋ごろ、燃え尽き症候群のようになり、資格の為の勉強はおろか、日々の授業への出席と、併せて単位の修得さえも、危うくなりかけた。

それまでの私は、ずっと私と向き合うことを避けていたけれど、そこまで行って初めて、自分の本音と向き合う決意をした。

家族や大学の先生と何度も相談をして、結果的にその資格取得を目指す道からは退いた。私は大学を4年で卒業することにひどく執着していたので、意地でも通い続けた。

幸い、3年次までの、自分の頑張り過ぎる頑張りが味方をしてくれて、卒業要件単位としては、既に申し分なかった。4年次には、唯一の卒業必修科目を週一回の一コマ、そして不定期に卒論指導をお願いした。

まあ本音を言えば、当時の週一かつ一コマ、つまり90分の座学さえ身体がもたなくて、とてもしんどかったけれど、意地と根性で乗り越えてやった笑。だって私、一回も授業休んでないもんねー!皆勤賞だもんフンフンって感じ笑。…自慢するようなことでもないか。頑張る方向を完全に間違えていた。

そんなこんなで無事卒論を提出し、今年の3月9日、大学生と言う身分を剥奪され、そこから無職なうな私である。(そこは卒業と書けや)

だって、体力も気力も、あの頃と比べて、何も回復していないじゃないか今の私は。結局4年間無理をして、執着していた「大学卒業」と言う、欲しい学歴だけを手にした、ただの自己管理能力が出来ない欠陥品。いや欠陥品は言い過ぎ?笑 流れで勢い余って書いちゃったけど、そこまではさすがに思ってないから安心して欲しい笑

卒業後、私の周りは、講師として学校で働いている人、中小企業で会社に勤めている人、色々な人がいる。

ここで思う。今社会人として働いている彼らは、程度は違えど、自分自身と向き合った人達、なのだろうか。

社会の「多数派」とされるレールから外れず、排除や糾弾を受けない側の人間。

休日には、どこそこへ出掛けたなどと、非日常の一部を切り取った輝かしいストーリーを投稿する、そっち側の人間なんだと。

でも、本当にそうなのか?見えているものが全てではないと、私は思う。表出していないだけで、彼らにはそれぞれ、思うことがあるんだと思う。

苦しいもしんどいもその人の数だけあって、それはわざわざ他人と比べるものでは無いんだと思う。自分が苦しいと思ったら、それは苦しいでいい。ただそれを、誇大広告の如く悲劇のヒロインぶるのは、些か問題があるのかもしれないが…。

私は正負の感情問わず、noteを始め、SNSには言葉を選びつつではあるが発信している。けれども別に、だからと言って、それが全てだとも思っていない。それをすることに抵抗がある人もいるだろうし、それはその人の考えであって、私がそこに立ち入る隙はない。

最後に。

このGWは、体調が芳しくないことが多かった。

親の経済的援助を受けているから、無職でも生活に困っていないと言うのが、今の私には事実としてある。

最近は、不眠や覚醒はありつつも、昼頃に半ば強制的に身体を起こして、自分の食事は自炊したり、家族4人分の洗濯をしたり、食器洗いを進んで買って出たり。趣味の読書やラジオに興じたり。

自分にできる範囲のことを、今の私は頑張っている、と言っていいのか自信がまったくないのだが、している。

それでも、日常生活を送ることがしんどいと、時折思ってしまう。ただそのしんどさをここに表出できるくらいには、余力を持ち合わせているのだろうとも、また思う。


読んでくださってありがとうございます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?