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「美咲はすごく頑張っているよ」
気にかけたり心配してくれたりする人がいるって、嬉しい。嬉しいと言うと語弊があるかもしれないが、自分が思っていたよりも、自分のことを周囲が認知してくれていたという事実を知った今、かなり驚いている。
もともと私は、国家資格である、社会福祉士と精神保健福祉士の、2つの受験資格取得を目指していた。しかし紆余曲折あり、そのどちらもをやめる決断をしたのが昨年のちょうど今頃。当時の自分の心身の状況を鑑みた時、履修そのものを取りやめることが、私にとって、最善の判断だった。
そうして忽然と諸々の授業から姿を消した私は、その後、周囲から「美咲がいないね、どうしたんだろうね…?」と、ある意味では一躍有名になっていたらしいと言うのを、人伝に聞いた。
と言うのも、私は昨年、殆どの人に、その事実を伝えることをしなかった。当時の私は、視野狭窄が起こっていた。それまで友達だと思っていたはずの、周囲の人達のほとんどのことを、心のどこかで信じられなくなっていた。それでもごく絞った数人には、事の次第を伝えていたようだが。その人達はどうやら、その人自身の心に、留めておいてくれたようだった。
自分で言うのは気が引けるが、私は周りからは、頑張り屋の努力家で通っていたらしい。後々知った。
何とも皮肉だ。私は行き過ぎたそれが原因で、うつ状態になったと言うのに。
とは言え、そうなったことを、後悔しているわけではない。当時はそうすることで自身の存在価値を見出していたし、承認欲求を満たしていたことは確かだから。ただ、それが自分自身、目に余る程度であった、と言うだけの話だ。簡単に言えば、やり過ぎてしまったのだ。暴走して、歯車が嚙み合わなくなった。ただそれだけの話だ。私は自分が壊れてから初めて、それまでの自分の異常さに気が付いた。このままじゃ自分は、さらに壊れてしまう、と悟ったようだった(既に壊れていたけれども)。
それまで完璧主義を目指して取り組んできた甲斐あって、専門科目の履修をすべて取りやめても、その後の単位の心配をする必要は、一切なかった。そして今、週一回の一コマの授業だけで済んでいるのは、これまでの自分の頑張りの賜物だと言っても、過言ではない。
そして、大学を四年で卒業することは私の信念だし、それに伴って今期の授業は、今のところ皆勤。課題も試験もこなして、卒論も少しづつだけど進んでいる。
この状況を友達に話したら、「美咲はすごく頑張っているよ」と言ってくれた。
「頑張る」が何か、分からなくなっていた私に、友達がくれたその一言。それはまるで、暗闇に、一筋の光が差し込むかのように。今の私に、希望を見出してくれたような気がしている。
*
今日、数カ月ぶりに友達と二人きりの時間を過ごせた。美味しいご飯を食べながら、お互いに自分の胸の内を語り合った。そんな関係性でいられていることが、何よりも宝物。
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私は、Yのことが大好き。
いつもありがとう、これからもよろしくね。
読んでくださってありがとうございます。