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ディベートが強い人の特徴


ディベートが強い人とはどういう特徴を備えた人なのだろう。よく挙げられるのは、語彙力の高さである。多くの語彙をリアルタイムで使い分ける力は、ディベートに限らず、コミュニケーション能力として幅広い分野で優位に立つことができるだろう。しかし、著者が思うにディベートが強い人の主な特徴として、少年期に大人から叱られることが多かった人が当てはまるのではないかと考えている。例えば、宿題をするのが苦手な子は多くいるだろう。(勿論それに当てはまる児童が全員ディベートが強いわけではないだろうが)宿題をしなければ教師は児童を叱らねばならない。そうすると児童はなんらかの形で自身を肯定する必要が出てくる。これは動物的な本能なので仕方がない。否定されれば、自らが積極的に肯定しなければならない。そうすることで、「なぜ宿題をしなければいけないのか?」という疑問を抱くに至るケースが多々ある。叱られた児童は宿題をしないことで否定された自分を肯定するために、闇雲に宿題をしている児童を否定しなければならない。それが「彼らは理由もなく言われたことを守っている」という視点をもたらすのではないか。その積み重ねが、児童の視野の広さを作り出していると考えられる。

なので、否定されて育った児童は、大人になったとしても言葉への鋭敏さが抜け落ちることは中々ない。〇〇しなければいけないと言われれば、本当にそうなのかとファーストインプレッションで感じてしまうのだ。彼らに取っての「優しさ」という言葉は必ずしも一辺倒な思いやりとは限らない。もしかすると厚かましさや分別のなさを、「優しさ」という言葉に含ませているのかもしれない。

つまり彼らは言葉に多様さを持たせているのだ。再三言うが、否定されてきたからと言ってディベートが強いとは限らない。逆に肯定されて育ったからと言って弱いとも限らない。けれど、ディベートが強いと言われる人たちの中には、自己否定から身を守るための防衛本能によってディベートが強くなってしまった人たちがいるのかもしれない。

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