
【京都の駒札⑪】岬(みさき)神社(土佐稲荷)
祭神は「倉稲魂命」と「石栄神」の二柱(柱は神様を数える単位)。農耕・商売・土木・金工など諸業の反映、火難除けなどの災厄除けにもご利益がある。
社伝では、室町時代初期、鴨川の中洲の岬(突端)に祠を建てたのが由来とされている。その後、祠は鴨川の西岸など数度遷され、江戸時代初期、この付近に建てられた土佐藩の京屋敷内に遷されることとなった。一般に「お稲荷さん」の愛称で親しまれる「倉稲魂命」を祀るため、「土佐稲荷」と呼ばれるようになる。
以降、土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも「産土神(地域土着の神)」として熱心な信仰を集め、わざわざ土佐藩邸内に一般人が自由にお参りするための通路を確保したほどである。藩士たちの信仰も厚く、坂本龍馬や中岡慎太郎らも詣でていたと考えられる。
その後、明治維新により土佐藩邸が売却されるとともに、神社も移転を余儀なくされ、その後幾多の変遷を経て現在地に鎮座、大正二年(一九一三)には近隣の氏子たちによって現在の社伝が建立された。
氏子地域は、北が三条通、南は四条通、東は先斗町、西は新京極。例祭は六月十日。近年、氏子たちの力が結集された崇敬会が発足し、明治十年(一八七七)から伝わる神輿も修復され、例祭に巡幸する。

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