自責と他責、そして他罰
自分のメンタル不調や失敗など、マイナスの出来事に出会った時の反応の仕方、本人の捉え方には、
自責的な反応と他責的な反応、さらに他罰的な反応とがある。
自責的とは、「こんなことで不調になるなんて自分の力が足りないからだ」と自分を責める捉え方。
他責的とは、「自分の力が足りなかったかもしれないが、どうにもできなかった」と客観的にみようとする捉え方。
他罰的とは、「あのせいで私はこうなった!」とそのきっかけとなる出来事や人物を恨みに思う捉え方。
「うつ」であれば、
「うつ」のせいで集中力や体力が落ちて、仕事がうまくいかなくなった時に、
「これは病気じゃなくて怠けだ」などと自分を責めて病気であることを認められないのが自責。
「あの出来事がきっかけでそこから不調になった」と理由づけたり、時に言い訳したりするのが他責。
他罰になると他責からちょっと行きすぎて「自分はまったく悪くない!」と語気が強くなる。
「うつ病」では自責的となり、病気であることを認めようとしないことも多い。
「適応障害」では自責的となることも他責的であることもどちらもある。
「未熟型うつ」では他罰的な捉え方が主体になる。
どちらが自然かと言うことで考えると、
他責になったり、時には他罰となるのが人間の本来の心の働きというものだと思う。
不調の時、弱ってしまった時には言い訳くらいしたくなるのが普通の反応。もちろん、行き過ぎはイカンですが。
逆に言うと、その自然の反応ができなくなるから、「うつ病」は不自然なもの、つまり病気といって良いのだと思う。