生きる事に絶望しない為の言い訳を作るのが大事だと思っている
ミニマリスト筆子さんのブログの「いかに物が私たちの時間を奪っているか?」という記事の〈自分の信じる物語の為に人は行動する〉という内容を読んだのをきっかけに、そこから生きる理由付けを考えてみたよ。
生きる事に絶望しない為の言い訳を作る事が、生きづらい世の中を生きる為に重要なのかも。
「目標」とか「夢」とか、必ずしもキラキラしたポジティブワードを掲げる必要はないと思う。
(というか私がポジティブ!前向き!を感じさせるワードが苦手なだけ)
そして自分が理想とする物語を頭の中に常に持ち、その物語を信じて、その物語が実現する為の行動をし続ける事が、結果的に生きる事に絶望しない為の言い訳になっていた。
後から振り返って、結果論としてそうなっていた。
って形にしていくイメージなのかな?と考えている。
ずっと「まだ頑張る為には何を支えにしたら良いのか?」を考えてきたんだけど、それが分からなかった。
現時点での仮説は、最初からそういうものは無くて、
「生きる目的」みたいな分かりやすい指標は探しても転がってなくて
その時その時で小さな欲望をかき集めて、
それらを大切に持ち続けながら、叶える行動をし続ける事。
そうして気付いた時に、それらが結果的に生きる目的になっていた。
みたいな感じなのかなと。
「こういう状態になりたい」という自分が信じる物語が、行動する為の強力な動機になっていて、その実現させたい理想の物語を思い描いて、勇気を出して行動するのも物語の為に動いている事になる。
私の場合、毒親達にずっと否定されて生きてきたから、
〈精神的に自立した思いやり労り合える人達に囲まれて心穏やかに生活する事〉。
これが私の信じてる求めてる、行動を起こす原動力になる理想の物語。
これを実現させたいから、日々自分と向き合って成長しようと勉強している。
さらに具体的にすると、
〈その時ハマっている推しキャラの様な人と出会って、その人に好きになってもらえる様な成熟した人間になり、生涯を共にする事〉だったりする。
なので頑張るモチベは推しキャラ。
・・・( ̄ー ̄ )
だって仕方ない。今のところ他に思いつかないんだ。
でも、そのモチベというかガソリンになってくれる存在は常にいる訳じゃなくて、
Mというキャラにハマった時は「Mみたいな人と出会って結婚して幸せに暮らす為に頑張らなきゃ!」と行動の動機にしてたんだけど、残念ながらMのブームが早期終了してしまい、
「何を支えに頑張れば良いのか分からない・・・」
となった。
( ̄ー ̄ )
小さい頃から辛い事、嫌な事、苦しい事に耐えるばかりだった為にエネルギーが枯渇してて、もう頑張る気力ないよ・・・がデフォルト。
頑張る為のプラスの動機が、ガソリンが基本いつも足りないのだ。
Kというキャラや、Iというキャラ等あれこれハマって、その次はSというキャラにハマり、
今度は「Sみたいな人と出会って結婚して幸せに暮らす為に頑張らなきゃ!」
になっている。(現在ここ)
だから私は今のSブームが終わらない事を切に願っている。
自分が求める理想の物語、頑張るための具体的なガソリン(現時点では推しキャラ)が自分の中で固まってないと、
頑張ろう!って思える理由に出来ないから、
具体的なガソリンと理想の物語を自分の中に置いとく必要がある。
これまで、映画やアニメの登場人物の様な〈名前が付いたちゃんとした生きる目的を持つべき〉みたいな固定観念があった。
私だけじゃないと思う。(多分)
けど、そんな大層な生きる目的も見つからないし現実は辛いしって、悲観してしまうのではないか?
そんな自分を無価値に感じてしまうのではないか?
大層な生きる理由を並べなきゃいけないと思ってないか?
「天気の良い日に気が済むまでグッズやフィギュア鑑賞してるのが幸せな時間で生き甲斐です」ではダメだと思ってないか?
新たに生きる理由を何処かから見つけてきて、「これが生きる目的だ!」って堅苦しく誰かに提示しなきゃいけないわけじゃない。
「そんなしょうもない理由で生きてるの?」とか却下されたりもしない。されたとしてもだから何だ。
もっとゆるく、
〈生きる事に絶望しない為の言い訳をでっち上げる〉
くらいでも良いと思うんだ。
多分ポイントはでっち上げる事。思い込みでも良い。
思い込みのおかげで絶望しなくて済んで、生きる事を選択できるなら、嘘でも勘違いでも思い込みでもOK。
生きてる間に自分を前向きに騙せたらOK。
悲しいまま、ひとりで終わる選択しないで済めばOKなんじゃないかな。
以上。
いま災難続きで絶望しがちな自分と、
同じ様に苦しみ真っ只中な人を励ませたら良いなと思って、書いてみたよ。
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