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合格者の志望理由書から学んだこと

 推薦入試・AO入試の希望者が増えてくると、「伴走」という概念が出てきました。総合学習や探究学習でも、教員はどのように伴走するかということが話題になります。
 コーチング・ファシリテーション・伴走という概念が重要になってきました。ただ、それは、「ある種の技術論に過ぎないのではないか」という疑念がありました。技術は本質とセットでないと意味がない…です。
 では、志望理由書の本質とは何か…。

過去の志望理由書を読み直すと

 手元には、担当した生徒さんの志望理由書が残っています。
 これを読み直し、合格の要因を考えてみました。
 もちろん、段落構成、課題発見とその解決、客観的事実から論理的に考察することはできています…というか、そのように作っています。
 また、論点・仮説については、検証も行っています。
 しかし、それでも不合格になったものがあります。どこが違うのか??

合格者の志望理由書に示されていたもの

 志望理由には、大学卒業後に就きたい職業、実現したいこと、大学で学びたいことが示されています。その動機となった出来事も示されています。
 この流れの中に、「世の中の歪み」の指摘がありました。
 世の中の歪みによって、「自分の責任ではないことで苦しんでいる人の存在」への言及がありました。
 そして、課題発見とその解決の発想の中に、「人の苦しみ・心の痛み」への気づき・共感・理解があったのです。

「痛み」が隠しテーマとなっている

 中高生の書く小論文・探究論文によくある流れはこういうものです。
 ①社会課題の指摘
 ②課題を生み出した悪の糾弾
 ③人類は悔い改めるべきという解決の発想
 まぁ、そのとおりではあるのです。また、この流れで合格するケースもあります。しかし、この流れに不合格が多いのも事実です。
 この流れにないのは、課題によって苦しんでいる人の存在、その人々が抱えている心の痛みへの気づきなんですね。
 当時の私は、医療・福祉・教育系志望者を多く担当していました。
 そういう生徒さんは、「心」への意識があるわけで、そこに志望動機があるわけで、ここから学びを得たということです。

伴走者の定義もなんとなく進む

 生徒さんが、志望理由書を書く時、何に困っているかを意識するようにしました。また、志望理由に内在する「痛み」も意識しました。
 この「痛み」には、社会課題を前にしても自分には何もできないという「無力感」「罪悪感」もあります。つまり、生徒さん自身も傷ついているんですね。そこに、学びの原動力があるのかもしれません。
 ただ、「痛みを書けば受かるという技術論」にはしたくないですし、できません。痛みを感じる感性・知性・身体性がないと、「本質」には届きません。
 とすると、伴走とは、生徒さんの抱える「痛み」への理解と共感とを示すことかもしれません。ただ、これも技術論だけでは難しいです。伴走者にも感性・知性・身体性が求められます。

 そのころ、東日本大震災があり、私が暮らしていたA県にも大きな自然災害がありました。「痛みへの感性」が重要になってきました。
                    つづく

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