『エーリッヒ・ツァンの音楽』と『城砦都市カーレ(魔の罠の都)』その他

 聞いたことはない。しかし強く印象に残る音色があって、それがハワード・フィリップス・ラヴクラフトの怪奇小説『エーリッヒ・ツァンの音楽』の中に流れている。繰り返すが聞いたことはない。地図にない街オーゼイユに暮らすおしのドイツ人ヴィオル(ヴァイオリン以前に愛好された六げんの楽器)弾きエーリッヒ・ツァンの奏でる遁走曲フーガそして謎めいた妖しい旋律を耳にする者は、この世に一人もいないだろう。
 実際に聞いたことのある音楽で思い出の曲を幾つか考えてみたら、エーリッヒ・ツァンが掻き鳴らす熱狂のメロディに似ていなくもない気がするものとしてエミール・クストリッツァの映画『アンダーグラウンド』のテーマ曲『カラシニコフ(元がキリル文字のためだろうか、ラテン文字による表記だとKalasnjikov、Kalashnikov、Kalashnjikov等のバリエーションがあった。さらに付け加えるならバリエーションはヴァリエーションと書くべきなのかもしれない。バリエイションやヴァリエイションもあるだろう)』が耳元で木霊した。作品の舞台となった今は存在しない国ユーゴスラヴィアと、地図に載っていないオーゼイユ街が、私の中で重なり合ったのだろうか。
 オーゼイユ街と違って辿り着くことは出来たが、出られなかったのがスティーブ・ジャクソンのゲームブック『城砦都市カーレ(魔の罠の都)』のカーレだ。『ソーサリー』シリーズ第一作『魔法使いの丘(シャムタンティの丘を越えて)』をクリアし(それでもマンティコアには殺されかけた)意気揚々と乗り込んだカーレは、まさに地獄だった。治安の悪さは『装甲騎兵ボトムズ』のウドと肩を並べる。住人は悪党しかいない。当然ホスピタリティの精神はない。優しくされたら必ず裏がある。そこに足を踏み入れたらすべての望みを捨てねばならないという点でナチスの絶滅収容所と似ている。私は結局、魔都カーレを脱出することが出来なかった。非道と退廃が支配する悪の都に災いあれ!
 マイケル・ムアコックの小説『エルリック』シリーズに登場するメルニボネ帝国の首都<夢見る都>イムルイルも好きだが行きたくない街だ。その美しい街の住人メルニボネ人は、自分たちの種族以外の人間を拷問するのが大好きなサディストだった。冷酷で残忍な彼らを斃した禿頭のスミオーガン伯爵らは、実に良い仕事をした。
『バットマン』シリーズで御馴染みのゴッサム・シティも好きな街だ。実在の街なら同じアメリカ合衆国東海岸ロード・アイランド州の州都プロヴィデンスだろうか。だが私は現在のプロヴィデンスについては何も知らない。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの恐怖小説『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』に描かれる旧都プロヴィデンスが気に入ったのだ。ラヴクラフトは作品の中で生まれ故郷、林立する尖塔とドームの古都プロヴィデンスの風景を丁寧に描写している。やたらと熱のこもった文章があって、面白い。
↓『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』より抜粋
(前略)丘のふもと、狭い道に沿ってねむる古い街。われらの町プロヴィデンス。その安寧と秩序のためには、いかなる危険をおかそうとも、この瀆神とくしん行為を殲滅せんめつしなければならぬのだ。
↑創元推理文庫ラヴクラフト全集2、137~138ページ
 他人の文章を引用したところで、文体を変えてみる。
↓[です・ます調にスイッチあるいはチェンジ]
 こういったところは面白いのですけど『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』がなかなか読み進められなくて困っています。『クトゥルフの呼び声』と『エーリッヒ・ツァンの音楽』は面白いと思ったのですが、この作品は苦手です。前にも読んだのですが、その時もそう思った記憶があります。でも、この話はラストが良かったのです。邪悪との全面対決が格好良かった。他のラヴクラフト作品とは違って爽快感があるな~と思ったものでした。ただし、そこに辿り着くまで、やけに時間が掛かりました。今回も、そこに至るまで、しばらく掛かりそうです(笑い)。それまでは悪の魔法使いジョゼフ・カーウィンと地獄に付き合ってもらう覚悟ですよ(銀河万丈風にお読みいただければ幸いです)。

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