見栄っ張りなアダルトチルドレン
先日、散歩をするのにいつもの公園では飽きたので、電車に乗って大阪城公園まで足を延ばしました。
地元民なので、大阪城自体には幼稚園の頃から遠足で何度も訪れています。
森があって気分良く散歩でき、電車で行ける大きな公園の中で一番近いので選びました。
平日でしたがガラガラでもなく、外国人観光客の方がたくさんいらっしゃいました。
歩いている途中の道端で猿回しのお姉さんに出会いました。
丁度開演する時間で、前を通る観光客に声をかけていました。
ほとんどが中国人か台湾人で、白人が少々という感じです。
英語で話しかけるのですが、拙すぎて(失礼)伝わらず苦労されていました。
それを見た私の中で「俺のブロークンなイングリッシュで通訳してやろうか?」という気持ちがムクムクと湧いてきました。
しかしこれは優しさとか親切ではなく、賞賛されたい、感謝されたいという承認欲求や、ちょっとしたメサイアコンプレックスのようなものです。
根源はやはり毒親育ちによる劣等感だと思います。
もちろん余計なお世話なので自重しました。
人の仕事の邪魔をしてはいけません。
客寄せも仕事の一部です。
いい歳なのでさすがにそれくらいの分別はわきまえています。
20代の頃なら勝手に通訳を始めてしまい、お姉さんに微妙な顔をされていたかもしれません。
英語もペラペラというわけではなく、脳内ではそれなりに翻訳できていましたが、実際に話し始めるとお姉さんと五十歩百歩だったことでしょう。
さらに微妙になったお姉さんのお顔が想像できます(笑)
自分の能力を現実より高く見積もるのも、アダルトチルドレンの悪癖の一つですね。
その最たるものが完璧主義です。
出来るわけがない。
でも自分では出来ると思っているし、やって当然という意識がある。
いざやってみると出来なくて落ち込む。
私の場合は更にひどくて「こんなの簡単」と周りに公言しては失敗して恥をかく、見栄っ張りの「クチだけ男」になることが何度もありました。
思い出しては羞恥心で身悶えします。
自意識だけは高くそびえる大阪城(笑)
今回自重できたのはそういう経験もあったからですね。
というか、まだそんな「恰好つけ」な感情が残っていたことに少し戸惑いさえ覚えました。
苦労されているお姉さんを見て、下心が刺激されたのかもしれません(笑)
謙虚さを忘れずに。
あらためて思った脳内の出来事でした。