二週連続の講師業

10月14日に精神科訪問看護師向けの研修講師として、ナラティヴ・アプローチ、リカバリー、トラウマをテーマとした研修を行った。

10月20日には、福岡市のピアサポート講座の講師として、精神障害本人、家族、支援者、医療従事者を意識した講演を「家族会からピアサポートに至る当事者活動の歴史」と銘打って行った。

「特定の立場の誰かに、何かを伝える」ことを意識して話すことは、ぼくが今までやってきたような主に自分がスッキリするための言語化作業とは、明らかに質的に異なるな~と実感した。

「精神科ユーザー」とか「ピアスタッフ」という肩書を名乗って、ぼくはどちらの場でも、いままで紡ぎあげてきたぼく自身の自己物語を聴衆に差し出す方法を選んだ。

差し出したら最後、ぼくの自己物語をどう受け取るか、解釈するか、意味づけするか、向き合うのか向き合わないのか、一切のリアクションが聴き手の裁量にゆだねられる。

アカデミズムにおいて、論文を書いて査読を受けるとかそういうプロセスというのも、実はこれの別形態なのかもしれない。ぼくは「他者に伝えるための言語化」と「創り上げたものを他者の評価に曝されること」の二つを特に、2週連続の講師業で学んだような気がする。

発信は自分自身のための言語化より明らかに疲れる。

最近仕事で精神科訪問看護にPSWとして同行していた際、自分の精神科ユーザーとしての経験知、大学院等で学んできた専門知、自立生活運動の現場で積み重ねてきた実践知は、この分野で働く人たちに役立ててもらえるモノが結構あるかもしれない、と実感する場面があった。

「リカバリーストーリを語る上では、単に「健常者並みに社会復帰できました!」って物語じゃないモノをやっぱり語りたいよね」等と、精神病者運動の流れを汲む方から耳打ちされて、日本の精神障害分野の当事者活動の歴史を多少理解し、海外のリカバリー運動もかじった上で、あえて、自分が「リカバリーストーリー」を語ることの意義を考える機会をもらった。

20日の講座では、修論の知見も報告したのだけど、そしたら付き合いのあるこれまた付き合いのある精神病者運動の流れにいる方から「専門職や家族、いろんな当事者みんなにいい顔していて蝙蝠みたいだった」と言われてしまった。

ぼくとしては、修論を書くなかで本当にいろんな立場の人たちに対してそれぞれに共感できる部分があって、けどどうしても立場の違いのために拙速に対立や衝突が生じてしまっているように見えることがあるから、そういうことが起きないように通訳したり、仲裁に入れる人間になりたいという願望が特に修論を書き上げてから強くあるので、蝙蝠と思われても構いません、と言い返した。

まだ現実にできている訳ではないけど、そうした実践ができるようになっていったら、きっとそれは過去の自分に対する罪滅ぼしになるような気もしている。

昨年12月のピアスタッフの集いの時の報告は、理論武装一辺倒で、ある面では地に足がついていない中、それでも、「皆さんと一緒に精神保健医療福祉システムを変革していくために働いていきたいと考えています!」と宣言していた。

なんの因果か、そう宣言した福岡市内で今度はピアスタッフや専門職などとして実際に精神保健医療福祉の現場で働きながら、講義の終わりにやはり同じような呼びかけをしていた。去年より、だいぶ頭でっかちな感じもなくなって、地に足も着いたかな。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集