「自己愛という鎧」再考
伊藤公雄 1996 『男性学入門』を読んでしばらくしてから、当該本においてとても有名な表現をもじって、「自己愛という鎧」について、みたいな文章をだいぶ前に書いた記憶がある。
7日に帰関して、父やその他の家族と話していて気づいたことがありました。
それは、「まるで小説の主人公みたいな人生だ…(嘲笑)」という自分の20歳の頃の実感を強化するような自己語りをして/自己物語を作り上げてきてしまったな〜ということでした。
よく兄(次男)に、「やそらさんアスペじゃん」などと言われるのですが、本人は得心したことがありません。
最近10年来関係のある方から、「結局、悪い意味で中二病的な部分は変わ/なおらなかったね」と指摘されました。
その指摘をされたのが20歳の頃の実感を強化してきてしまっていたな〜と気づいた日の翌日だったので、完全に急所を突かれる形になりました。
ぼくにはおよそ世間でよく言われる「自己肯定感」のようなものがないと思っています。
既に生まれ落ちてしまっている自分自身という存在を肯定できるようになることよりも、「まあ、なんとか生きていけるべ」と思えるようになるとか、「生き延びる力に関しては、自分をあてにできる」という意味での自分自身への信頼感などを指して、「自己信頼感」の方が大事だろうと吹聴していた時期もありました。
20歳前後といえば、動き回らないと呼吸ができない鮪のように生きていたと自分自身形容していた時期でもありますが、「自己肯定感」が皆無の状況であっても「ここじゃないどこか(≒自分の本当の居場所)」を求めて動き回るには、あまり傷つかないためにも、「自己愛という鎧」が必要だったのだろうと思います。
内容はあまり覚えていませんが、きっと「自己愛という鎧」について、という文章を数年前に書いた時も、だいたい以上のような内容を書いたんじゃないかな〜と思います。
最近読んだ本(蟻塚亮二 2023 『悲しむことは生きること』)の中で、外傷性精神障害というものの説明があって、その中に「自己愛性人格障害」も挙げられていました。
兄弟からの「やそらアスペルガーだろ」という言説について、以前からぼんやり「アスペルガーというよりは、児童期の虐待による複雑性PTSDに起因するもののような気がするんだよな〜…」と思っていました。
たまに人から、「一言多い」等と言われます。
そんな時、ぼくは決まって「あんまり他者から良いイメージを持たれると、自己イメージとのバランスが崩れて具合悪くなるから敢えて落としにいってるんだ」と、早口でまくしたてます。
「合理化」はいくらでも後付けが可能です。
最近のそれはわからないけど、20歳前後の数少ないエピソードに関する記憶を頼りにふりかえってみると、「一言多い」「空気が読めない」とされる自分の言動の実態は、どちらかというと「侵入思考」だったんじゃないかなと今は思います。
先日、自分にとっての「言語化衝動」の正体についても記しました。ぼくは「自分が間違っていないと思えること」しか話さないようにしています。恐らくぼくは、特に即興のコミュニケーションにおいては、「自分の言動が他者に与える影響」への配慮よりも、「自分自身に対する誠実な言動」への配慮の配分がとても大きいです。
こういった要素が「アスペルガー」と呼ばれる要因なんじゃないかな〜と、今は整理しています。
なんかここまで「それっぽく」整理したのはいいけど、それにしてもここで話題に挙がっている人絶対にめんどくさい奴だという事実にはたと気づいて、凹んだ…orz
複雑性PTSDに関する本などを読むようになった時期、所謂世間で「精神障害とされている人たち」の背景の多くに、実はPTSDがあるんじゃないかな〜?と思ったのを、『悲しむことは生きること』を読んでから思い出しました。
自分の場合、セルフネグレクトをした経緯があるから、まだしばらくは内的対話ありきの他者とのコミュニケーションみたいな雰囲気は続きそうだし、続ける必要があるだろうなとは思っている。けどそういう感じも最近は以前よりだいぶ緩和された気はするんだけれども。自分自身の中にいる「異質な他者」を目の前の他者よりも重視するあり方や姿勢は、それこそいつなおるかな〜。
「中二病的な自己愛」については、自分ももう31歳なので、どうにかしたいなという所存…。
今回指摘をくださった方にもひとつオマケに「川田さんの防衛機制はガチガチに作り込まれてるから、下手に踏み込みすぎて壊そうものなら後が大変」みたいなことを言われました。
ぼくの防衛機制の最たるものは、「自己愛という鎧」=「自己愛性人格障害」と「合理化」だろうと自認している。
そして、自分自身に対して「自己愛性人格障害」というラベルが貼られようものなら、速攻で「PTSD由来だから!」と「合理化」します。より踏み込んで言うならば、「それは、PTSD由来の症状の一つです!」位ぜんぜん言っちゃう。
だからと言って、そこに居直る気も毛頭ない。
「男らしさの鎧」という表現に肖るのであれば、「自己愛という鎧」も脱ごう!という宣言をするべきなのかもしれないが、とてもそんなことできる気はしないので、せめて鎧の材質を変えるようなイメージを膨らませたり、そのための具体的なアプローチを考えないとな〜と思い始めている。
それと同時に、最近ずっと脳内にこだましていた福岡のお母さんからの言葉でもって「自己愛という鎧」再考という文章をしめたいと思う。
「そうしないと生きて来られなかったのだろうから!」
20歳の頃の実感を強化してきてしまっていたことに一応は気づけた訳なので、そこがスタートなのかなと思っている。
再び恩師からのダメ出しも披露しておこう。(あれ、しまらなかった?)
「気づくの遅すぎるよ」
ぼくはまだ生きている。
「より良く生きていきたい」という想いもある。
まがいなりにも自分で気づけた。
31歳男性、文系大学院生博士(中二病)
だいぶ痛いかもしれないけど、ここから繰り返しめげずにスタートしていくのだ〜。