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ありのままを生きるために、必要なこと

導入

ありのままを生きよう!と言われ、皆さんはどういう印象を持たれますか?
難しい?簡単?

「巨大な錨が真っ暗な海底まで沈んで、
がっちりと身動きが取れなくなっている状態」

これが、わたしがありのままを生きようと決意し、
行動に移そうとした時に持った感覚です。

根深いバイアスが、未知の領域に足を踏み入れる事に対して、
強力な抵抗力として作用していたのです。

例えば、ブログで記事を書く時です。
10時間以上書いても…

こんな記事、だれも読むもんか。
自分の過去や経験に、誰が興味を示すっていうだ。
壊滅的な文章だな、こんなの出すのか?

そして、何度も文章を消しては書いて、
また書いては消して。

…ただ、書いて発信するだけなのに!


人はこうして、ありのままで生きることを決意した後も、
自分を受け容れるまでの間、葛藤し続けるのです。

そんな自分が、このテーマについて記事を書いていいものなのか、
かなり悩みました。

でも、逆にここまで苦しんでるやつもそんなにいないのでは…。
それはそれで、誰かのお役には立てるかもしれない。

そう思い、書くことを決心しました。
少し長いですが、最後まで読んで頂けるととても嬉しいです!

この文章をぜひ読んで頂きたい方

  • ありのままの自分が分からない

  • 他人が敷いたレールの上を歩いている

  • 思考や感情(主にトラウマ)と同化している

  • 目的や行動が他者基準になっている

  • 自分で考え、行動出来ない

  • 日々、なぜか葛藤している

  • どうすればありのままの自分で生きられるか、知りたい



①ありのままとは、執着のない状態のこと

結論から言うと、わたしは「無我」に近い状態が、
ありのままの自分だと考えています。

「我が無い」のに、ありのままの自分?なのと、
矛盾しているように思われるかもしれません。

それを理解するために、まず次の概念を説明します。

「無我」とは、仏教において執着の無い状態のことを指します。

これに対する概念として「自我」があります。
「自我」とは、仏教で「我執(がしゅう)」と呼ばれており、
執着や思い込みを基準にして、行動や思考をしている意識のことを指します。

つまり、自我とは「わたし」と呼ばれている自己像、あるいはアイデンティティのことです。

無我と自我

生存や安全は人間にとって、もっとも本能的な欲求です。
よって、生存や安全に関する執着を持つことは当然の事と言えるでしょう。

一方で、生存とは関係ない、ネガティブな思い込みも存在します。

  • ・新しいことをやることが恐ろしい…

  • ・自分を表現するのが怖い…

  • ・自分は〇〇だ…など


生存には何ら関係ないように見えますが、これらも執着と言えるのでしょうか?
では、言い方を変えてみましょう。

  • 新しいことをやることは恐ろしいし、危ないかもしれない。

  • 自分を表現して、社会的な信頼を失ったら?

  • 自分は人と話すのが苦手だ。新しい環境での挑戦なんてもってのほかだ。


このように言い換えてみると、アイデンティティーを守ろうとする、
防衛的な思い込みという事が分かりやすいのではないでしょうか。

要するに、生存に必要な執着や、アイデンティティーを防衛するための執着から、「自我」(我執)という意識が形成されるのです。

無我と自我


ありのままの自分とは、本来、もっとも自然体な自分であり、
表現できないはずがないのです。

しかし、人生を通して積み上げてきた執着や思い込み、常識や習慣などを基準にして作られた、わたしは〇〇でなければいけない、という考えが新たなアイデンティティーとなってしまうのです。

結果、ありのままの自分こそが異質なものとなり、
その存在や在り方さえ思い出すことが出来なくなってしまいます。

そして、「ありのまま」を生きようと決意した時に、
大きな葛藤を感じるようになるのも、このためです。

②「ありのまま」の自分を生きるために必要なこと

ありのままの自分を生きるためには、

  • 直感を大切にする

  • 自分のことを知る

  • 「今」を大事にする

  • 瞑想や内観をする

など、実にさまざまなアプローチが、ネット上には紹介されています。
十人十色、それぞれに最も合ったやり方があるのでしょうね。

作者の場合は、「自分の事を知り、思い込みに気付くこと」が、重要だと考えます。

なぜなら、そもそも「ありのまま」を生きられない原因が、思い込みにある為です。(執着と思い込みはほぼ同じ意味で使っています)

さらに、それに気付く事によって、初めて「手放す」事も出来るようになります。手放すことで、自我というアイデンティティーの殻を一枚ずつ引っぺがすイメージですね。



これについて深く理解するためには、ある重要な概念を知る必要があります。

それは「投影」です。
精神分析学の創始者として知られるフロイトが提唱した、
心理学の世界において重要な役割をもっている概念です。

「投影」については、ここで解説すると内容が膨大になるので、
別記事でもしっかりとお伝えしたいと考えています。

ざっくりと説明すると…

投影のイメージ図


人間は誰しも、自己防衛として罪の意識や恐怖といった感情を、
自覚できないレベルにまで押し込めてしまいます。

もちろん、このような対処で感情が癒されるわけもなく、
いつかのタイミングでそれは再び表面化します。

それを自分の内側に見ることに強い抵抗感を持つため、
他者に罪の意識や恐れを「投影」することで、その原因が外側にある事を認識するのです。

こういった投影はしばしば無意識に行われるため、
客観的に自分の事を知り、思い込みに気付くことがとても重要なのです。

ここまでが「投影」の説明になります


自我がアイデンティティーを防衛するために利用している投影の原理を理解し、「わたしが感じている恐れの原因は、わたしの内側にある」と認めること。

そして、「わたしの中にこそ、この恐れがあったのか!」と気付くこと。

あとは静かにその事実を見つめ、手放してあげるのです。
そっと、両掌から小魚を小川に逃がしてあげるように。

このようにして、思い込みや感情が癒されます。

この癒しにのプロセスについても、詳しく別の記事で書きたいと考えています。



言うは易しですが、すべての感情の原因はわたしの内側にある、
と認めることは時にとても強い葛藤を伴います。

それでも、作者が取り組んできた様々なアプローチが根本的に感情を
癒すことが出来なかったのに対し、この方法は確実な成果を出してきました。

③人の本質は「愛」


最後に…。

皆さん、キングダムという漫画をご存じでしょうか?
そこに出てくる秦の英雄王「嬴政(えいせい)」の言葉を引用したいと思います。

紀元前221年、中国を初めて統一した秦朝の始皇帝、それが嬴政です。
同国が2大勢力に分かれていたとき、敵陣営の首領である呂不韋との対話の中で、彼は次のように述べます。

「人の本質は光である」


わたしは、この表現が大好きです。
なぜなら、思い込みをすべて解放した後に残る、人間の本質は愛だからです。

ありのままを生きている人って、実際とても輝いて見えますよね。
その光は周囲をも照らし、大勢を惹きつけて止みません。

そういう人、皆さんの周りにもいるのではないでしょうか?

つまるところ、思い込みを取り外していき、ありのままに立ち返るという事は、自分を愛するということになります。

これが、この記事で最も伝えたかったメッセージです。

“どうか、皆さん自分のことを愛してください”

社会通念や常識で鎧をまとった存在ではなく、弱いと思い込んでいる側面も、醜いと思い込んでいる側面も、静かに意識を向けることで全てを愛してあげてください。

そうすれば、少しでも本来のあなたを思い出すことが出来るでしょう。

皆さんの癒しのプロセスに、少しでもお役に立つことが出来たら嬉しいです。

④まとめ

「ありのまま」の自分と、執着や思い込みから形成されている「自我」(我執)という意識体は別の存在である。

ありのままの自分を見えなくさせている殻を、ひとつひとつ剥いていくためには「投影」の原理を理解し、思い込みや感情を開放していく必要がある。

その為に重要なことは、思い込みや感情の原因はわたしの中にあると認め、気付くこと。また、その思い込みや感情を批判せずに直視し、手放すことが癒しに繋がる。

つまるところ、思い込みを取り外し、ありのままに立ち返るという事は、自分を愛するということに他ならない。

読みづらい箇所も沢山あったかとおもいますが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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