人生論?


こんにちは。料理をする度に、出来上がる食事が不味くなるアラフォーです。

過去に投稿した記事に、私が受けていたいじめについて書いた。
しかし、思い出すのも辛くて、ちゃんと書けていなかった気がするので、改めて、いじめで苦しむ人がいなくなることを願って、書いてみようと思う。

先ずは、私というものの説明から。
元々、私は大人しく、気を使う性格だ。自分から、人が嫌がることをしたことは無い。ただ、正義感が強く、曲がったことは大嫌いだ。

私は、小学校6年生の時に、過酷ないじめにあっていた。

それは、クラスの男子全員から、罵声を浴びせられ、避けられる、等だった。

女子は、自分に火の粉が降りかからないように、私とは距離を置いている感じ。

具体的な罵声内容は、汚い、近づくな、〇〇(私)が触ったから汚くて触れない、といったものだった。

勿論、私は、毎日、お風呂に入っていたし、綺麗好きだったので、手もきちんと洗っていた。持ち物も汚さない様に気をつけていたし、服にも染みなどは付けていなかった。

登校時、シューズには画鋲が入っていて、毎朝、シューズを裏返して、入っている画鋲を落とすことから始まった。

椅子にも画鋲が置いてあって、座る時は、注意して座面を確認していた。

休憩時間になって、私が動こうとすると、男子から、「動くなや!キショい!」「うわ!当たるだろうが!汚い!」と言われ、たまたま、何かで私が笑うと、「うわー、笑うなや!キモいんじゃい」と言われた。

なので、休憩時間、私は、トイレ以外に席は立たず、じっと、時間が過ぎるまで、席に着いて、やり過ごしていた。

辛くて、休む日が増えた。
休んだ日の翌日は、机の中に、カマキリの死骸が入っていたりした。

今の時代は、登校拒否や不登校は、珍しくないし、辛い時は逃げても良い、という風潮がある。
だが、私の時代は、不登校が許されなかった。

こんな私にも、一人、お友達がいた。
そのお友達が、毎朝、迎えに来てくれて、一緒に登校してくれた。

後で知ったのだが、担任の先生から、このままだと〇〇さんは不登校になるから、毎朝迎えに行って欲しい、と頼まれていたらしい。迷惑をかけてしまい、気の毒だが、本当に、ありがたい友達だ。

中学までいじめは続き、高校は、同じ中学校出身者が少ない事もあり、平和だった。

大学は、女子大に進学した。ここなら、問題は無いだろう、と思っていたが、そうはいかなかった。

女子の陰湿ないじめだ。

最初はお友達だった子と、ちょっとしたすれ違いがあった。彼女は、それが気に入らなかったらしく、「〇〇さんと付き合わない方が良いよ。」と言いふらされ、私は孤立した。

勿論、言いふらされた噂話は、根も葉もないことだったので、後々、私の元に戻ってきてくれた友人もいた。

だが、リーダー格の女子の顔色を見ながら、だったので、「私のところに来ると、あなたもいじめられるから、来なくて良いよ。ありがとう。」と言って、リーダーの女子のグループに戻してあげた。

社会人になり、やっと自由と平和を謳歌出来ると思ったら、同僚からの嫌がらせ。

大学卒業後、就いた職業は、非常勤講師。いわゆる、教師だ。

同教科の教員から、私の鞄をゴミ箱に捨てる、等の嫌がらせがあった。連絡事項を伝えてくれない、等の様々な意地悪。

見かねた他教科の教員が、連絡事項を教えてくれたりした。

余談だが、教科が違うと、教員同士でも、口を挟みづらい。何故なら、教科において、専門性が生じるので、同じ教科の教員との連携が必要だし、違う教科だと分からない連絡事項もあるのだ。

私をいじめた女性の教員が、生徒に、「いじめは駄目だよ〜。」と言っていた時、どの口が言ってるの?と思った。

私が授業をしていると、同教科の教員が邪魔をしてくることもあり、授業が出来なくなっていた。

生徒は、とっても可愛かった。可愛くて可愛くて、そして、可愛い。

生徒の将来を思うと、どうしても直す必要があるから、厳しく指導することが多かった。けれど、ちゃんと生徒はついてきてくれた。

生徒が私の生きがいだった。いじめられて辛い日々を乗り越える為の原動力は、生徒に対する愛情だった。

その後、転職し、事務職に。そこのお局様からも、いじめを受けた。

朝、廊下に呼び出されて、説教されることもあった。

お説教の内容は、お局様の発言でおかしいところを、私が指摘したことについて、だった。

公開処刑の様に、他に通勤する社員達がいる前で、ずっと説教された。他にも、沢山の嫌がらせを受けて、私は、ストレスから、下血していた。

その後、部署が変わり、男性上司からパワハラを受け、土下座させられた。

その上司から、セクハラも受けており、3度目のドクターストップを受けた時、私は極限の状態だった。28歳だった。

その時に、パニック障害、鬱病、強迫性障害を発症。

自宅療養になった。

だが、自宅療養も、全く療養出来なかった。

私には双子の姉がいる。その双子の姉が、家庭内暴力で、家庭をぐちゃぐちゃにしていたからだ。

過去の記事に書いたこともあるのですが、改めて書きます。

姉の家庭内暴力は、壮絶なものだった。

夜昼構わず怒鳴り散らし、物を投げ、ガラス戸を割ったり、トイレに籠り、わざと家族を困らせたり、といった嫌がらせをしてきた。

父が注意すると、少し大人しくなるが、また暴れる、を繰り返す。

母が仕事中でも、鬼電を繰り返し、帰宅が遅れると、怒鳴り散らし、母の携帯を投げたり折ったりしていた。

私は、左手薬指を折られてしまい、手術をしたが、今でも真っ直ぐ伸びない。もうっ、将来、結婚指輪をはめる指なのに!(笑)

両親が、家を出ていってくれ、と姉にお願いすると、「私が出ていくと、お前らは幸せだろ!お前らが幸せになるのが許せないんだよ!お前らみんな、地獄に引きずりこんでやる!」と、姉は怒り狂っていた。

両親は、厳しかったが、愛情をかけて、育ててくれた。同じ境遇で育った娘から言うと、両親は、娘から恨まれるようなことは、していない。

両親の死後、姉の家庭内暴力の矛先は、私1人に絞られ、お風呂に入らせて貰えない、6時間以上トイレに行かせて貰えない、食事を食べさせて貰えない、等の嫌がらせ、何かあれば怒鳴り散らし、物を投げる、等の暴力を受けていた。

「お前なんかが食べる食べ物が勿体無いんだよ!働いてないくせに。お前なんか、食べる価値は無いんだよ!」等と罵られる日々。
ちなみに、その時、姉も無職。矛盾している。

私が限界を迎え、家を出ようとすると、妨害されるので、買い物に行くかの様に言って、家を出た。

家出先は、生前、母と、短い期間だったが、一緒に住んでいたマンションだった。

以前、私と母が、姉からの暴力に耐えかねたことに加え、姉が、私と母を実家から閉め出したので、私と母の二人で一部屋を借りて住んでいたのだ。

母が亡くなり、一時的に実家に帰っていたが、姉と一緒に実家に住み続けるつもりはなかったので、その部屋に家出をする為に、家賃を払い続けていた。

だが、姉が、そのマンションの場所を知っており、怒鳴り込んできたので、姉の知らない別の場所に引っ越した。

今は、ボロボロアパートで、道行く小学生が、「この家だけは住みたくない」と言っていたのが聞こえた(笑)。なんて正直なんだろう。

平和だ。何気ない日常が、どれほどありがたいか、身に沁みて感じる。

いつでもトイレに行けるだけでも、感謝。いつでもお風呂に入れることにも、感謝。ご飯を横取りされたりしないことにも、感謝。

感謝が溢れる。

人生がつまらない、と言う人がいるけれど、良いことばかりではなく、悪いことばかりがあるとしたら、つまらない方が良いでしょ?と思う。

つまらない位の、何の波乱も無い日常が、どれだけありがたいか。

私の人生は、つまらない時なんて無かった。常に、何かしらの苦しみの中。

それでも、逃げてはいけない、と思い、立ち向かい、乗り越えてきた。

でも、姉からは、逃げることにした。

逃げていなければ、今頃、きっと、私は、生きていなかっただろう。

命をかける必要のある戦いは、無い。

姉と縁を切る決断をした私に拍手。

嫌な人と一緒にいる位なら、私は喜んで孤独を選ぶ。

嫌な人ばかりではなく、嫌なことでも、自分を成長させる為には、必要なこと。嫌なことから逃げてばかりでは、何も得られない。

でも、生命の危機は、別。逃げるべき。

逃げる必要のある戦いもある。

頑張らなくては、と耐えるばかりが必要なのだろうか?と思う。

判断基準は、明確で、自分の人生が無駄になる、と思うことはグッバイ(♪髭男)する。

辛くても、乗り越えた先に、素敵な未来が見られれば、努力する。

自分との闘いは、孤独になるけれども、人生が終わる時は、誰でも、一人で旅立たなくてはならない。

孤独を恐れていては、何も始まらない。

いつだって、人生を切り拓くのは、自分自身。

そう思えるようになったのは、コツコツと、自分を変える努力をして、その成果が、確実に出てきたからだ。

私をいじめた人たち、姉、が憎かった。

でも、憎しみからは、何も生まれない。
自分が荒んでいく。

私は、私を変えたい、と、努力した。

恨み節を言わない様にしたり、恨みや憎しみが出てきたら、他のことを考えるようにする。

それを、コツコツ積み重ねて、今では、「辛かったことは、全て、私を磨く為の砥石だったんだ。」と、思えるようになった。

人生は、長い修養の旅なのかもしれない。

課題を乗り越えた先には、新たな課題が待ち受けている。

でも、努力は、裏切らない。

私は、苦難を通して、感謝すること、と、努力すること、を学んだ。

これから先の私の人生にも、きっと、過去のような、奈落の底に突き落とされることが、あるだろう。

私は、私がそれを乗り越えて行くだろう、と信じている。

だって、ここまで、乗り越えてきたんだから。


長文にお付き合い下さり、ありがとうございました。

私の文を読んで下さった方々に、素敵なことがありますように。


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