ストレスが溜まった時は体を整えるとデトックスされる〜心身一如という考え方〜
はじめに
人や環境のせいでストレスが溜まってしまい解決が難しい時は体を整えるとイライラなどの不快感が和らぐことがあります。
そのことは、病は気からという言葉、上を向いて歩こうとうい歌など日本では体の反応を利用して心をどうにかしようと考える風習からもわかるのではないかと思います。
これを、四字熟語で表すと心身一如といいます。今回は心身一如を様々な視点で見ていきます。
心身一如とは
しんじん-いちにょ【身心一如】
仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。▽「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。「心」は「しん」とも読む。
参考:三省堂 新明解四字熟語辞典
身心ともに充実していること。物事に一心に集中しているさま。また、身体と精神は一体であって、分けることはできず、一つのものの両面にすぎないという仏教の考え。
参考:学研 四字辞典熟語
2つの辞書に書かれている共通していることは、一つのものの両面であることということでです。
これはあなたがいま、鏡に映って見える物だけがあなたであるが、それががすべてではなく、一部に過ぎなず、側面もあるし、裏面もあり、それによりあなたが作られていますよね?
そもそも当たり前すぎて、分けようとしていないと思います。
鏡に映って目に見える部分を体、目に見えないものを心と仮定するとわかりやすいのではないかと思います。
ですので、姿勢を綺麗にするときは、目に見える胸(体)を張ってもできますし、目に見えない腰(心)をそらしてもできます。
また、胸を張っても腰が反るし、腰をそっても胸が張るので分けることができません。
このようにして考えると普段の日常でも思い当たる節があると思います。
心でショックなことを感じると、体が前傾になりまるくなり項垂れますます。
心が自信があると感じている人は、体は胸を張り堂々としています。
学研四字熟語辞典では、 身心ともに充実していることと言っており、
現在も人が幸せに生きるのに体も心も満たされた状態を指す、ウェルビーイングという言葉があります。
昔から、仏教でも心も体も満たされているべきだという考えがあったようです。
ストレスが溜まってしまい解決が難しく考え過ぎて身動きが取れない時は、頭の凝りを人に話を聞いてもらったりすることでも和らぐことが出来たりもしたすが、体も同じように和らげることで更に楽になります。
体からアプローチする理由は?
これまで心も体も両方大切だということを書いてきました。もし、優先順位をつけなければならないのでしたら僕は体を優先させます。
理由としてはこの2つをあげます。
① 発達から考える
② 脳から考える
①発達から考える
体らだのほうが目に見えたり、感じ足りしやすいということ、子供の発達からしても身体が出来て動き回ることが出来てから、思考を使い言葉を発するので優先順位的には身体を主に考えています。
ですが、心も大切ですので、行き来する感じで体を見たら心を見る。心を見たら体を見る。このように自分にも意識して体と心と向き合っています。
②脳から考える
脳事態は、心や体というものを分けていません。ただ勝手に僕たちが心と体というものを世の中を生きる上で、便宜上分けているだけで、太陽と月、朝と夜、表と裏と同じで分けていると、世界の構成が分かり事実を感じることができるからです。
脳にしてみたら、五感から快適な情報が入力されたら、エンドルフィンなどが出て気持ち良い感じになり、嬉しかったり、誇らしかったりします。不快な情報が入力されるとアドレナリンやコルチゾールが分泌され怒ったり、驚いたりするだけでしかないのです。
ですので、そもそもが心身一如の状態であると考えられます。
最後に
心身一如についてここまで伝えていきましたが、この世の中は陰と陽で分かれていることがほとんどです。
男と女は分けなかったら人間ですし、朝と夜でしたら一日になります。
普段の会話や生活で分けて説明したほうがが良かったり、分けないほうが分かりやすかったりすることがあります。
上手いこと使い分けて、自分や相手が受け入れやすければよいと思いますが、そもそもは、一つのものだということを頭の片隅に入れといていただければよいと思います。
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