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映画鑑賞記録:JOKER(ネタバレあり)

フォリ・ア・ドゥの感想書く前にFilmarksに書いたJOKER鑑賞時の感想載せておく…

俺が見たいのこーゆーんじゃない…という気持ちに。いや、わかってて見たんだけど。演技が圧巻であることは間違いない。
社会の病理が産んだ偶像としてのジョーカー。ある種の熱狂をもって受け入れられたはわかるけど余りに陰鬱なのと、自分の頭で考えずジョーカーに乗っかるような形で暴徒と化した民衆は、私のイメージするジョーカーが嫌う奴らなのだよな。(ノーランのジョーカーが好きだから)
善意に含まれた悪意、悪意のような善意…というものは分かち難くあるものなのに、主人公たるジョーカーは二項に分けて独善的に断じる。小人症の同僚を助けるシーン、同病相憐れんで救う…というのがね(個人的には助かってよかった!とは思ったが)最初に殺した同僚は人がいいとは言い難い人物だが、銃を渡した事自体は彼の善意からのように思えた。職場に中を持ち込み落としたのはジョーカーの落ち度だし、その銃で殺人を犯したのもジョーカー自身。彼が自分にとっていい奴だから助ける悪い奴は殺すってすごい普通な考え方。全部汲み取った上で命は等しく無価値という思想がジョーカーの美しさなんじゃないかな。私がジョーカーにディレッタントな美意識を感じたい人間なので「無敵の人」としてのジョーカーはちょっと合わなかった。マレーに対してもそうだ。彼は番組でジョーカーを笑いものにしようとしたのかもしれないが、そもそも道化というのは笑われる職業だ。
今作のジョーカーは、知的な問題と認知の歪みがあるのは間違いない。ネタ帳の誤字、与えられた銃を仕事場に持ち込んで落とす、行き当たりばったりな殺人とその後始末の粗雑さ。銃を与えた同僚は人の悪い面もあったがジョーカー
笑いとジョーカーという点では、同じタイミングで笑うときだけは彼が疎外感を感じずにいられるようにも見えて、それが「みんな」の側に居られる唯一の瞬間だったのだろうかと考えると辛い。気持ちなど何一つ解らなくとも、同じタイミングで笑うという一体感。その笑いが小人症の同僚を傷つけ彼が許容しくれていた事に罪悪感を覚えていたのかもしれない。罪悪感というのがこれまた一般的な感覚だよね。そーゆー意味で大衆の感覚に近いジョーカーで、認知の歪みという辛さを抱え、そこが熱狂を産んだ一因なのかもしれない。
笑いというのは緊張と破壊、それに伴う緩和だと聞いた覚えがあるのだが、この作品自体もある種の緩和を感じさせる幕引きだった。
トゥレット症や小人症で苦しんでる方々に、この作品を通して少しでも関心を持つ人が増え理解が進んで欲しいと願う。


映画『ジョーカー』Filmarks(ネタバレあり)
https://filmarks.com/movies/80819/reviews/178546664 #Filmarks #映画 #ジョーカー
2024/7/12

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