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生理のせいで命を絶つところだった

生理前による落ち込みによって悩んでいる人には、貴方だけではないし、深刻な問題だという事を知ってほしい。
また、身近にそのような人がいる人には、この感覚が少しでも伝わればいいなと思い、このnoteを書くに至りました。



生理前の落ち込みというものを一番軽んじていたのは自分自身だったのかもしれない。

私は、気分の浮き沈みが大きい人間だ。
高校生から幾度となく死にたいと考えた。
しかし、自死への決意がここまで固まったことは初めてだったかもしれない。

なぜ死のうと思ったのか。
人間関係などに大きな問題は無かった。小さな嫌な事、憂鬱なことは勿論あった。しかし、客観的に見れば、死のうと決意するなど想像もできないような恵まれた環境に居ることも自覚していた。

高校生から振り返れば、数えきれないほど鬱の波に入った経験がある。
それは、生理前の落ち込みのせいだけでなく、環境によるものも多々あった。
生理痛が重いことや、生理前の落ち込みが激しいことから、婦人科で低用量ピルを処方してもらったこともある。
しかし、私の体質には合わなかったのか、ピルを服用している時は常に生理前のような抑うつ状態が続くようになった。
精神科に行くと、PMDD(月経前気分不安障害)だと思われるため婦人科に相談するように促される。
婦人科に行けば、ピルで症状が改善されないのなら心療内科や精神科に行くようにと言われた。

このことから、もう八方塞がりなのだと思っていた。

生理の重さというのも毎月度合いが異なった。
生理前の落ち込みも痛みも全くなくすんなりと終わる月もある。それに対して、落ち込みが一週間以上長引いて、特に大きい抑うつ状態に二日ほど入った後に、大きな腹痛を伴う生理が来るという月もあった。

精神科には通院し、寝不足にならないように、自分の限界を超えて活動をしようとしないように、など心がけて生きてきた。
抗不安薬であるデパスを処方されていることもあり、辛いときはデパスを飲んで乗り切るんだよと医師からは伝えられていた。

本当に辛いときはデパスを飲んでも、涙が溢れ出てくるだけで、心が楽になっているのか分からない。辛いときの記憶は、防衛本能によって脳が忘れるようにしているのか、あまりうまく思い出せない。
それも毎月絶対に訪れるわけではないし、自死を考えるほどの抑うつは1~2日のことだったため、このまま生きていこうと思っていた。
生理が来てしまえば、世界に色が付いたように、電車に差し込む光ですら美しいと思い、未来に思いを馳せることが出来るのだから。


今回は、きっととても些細な嫌なことが重なってしまった。
これまで自信のあった勉強面の些細な挫折と、好きだと思っていた人への気持ちがすっと冷めてしまったこと、学校が冬休みに入り、頑張り続けていた、張り詰めていた気持ちが緩んだことだ。どれも嫌な事のカテゴリーに当てはまらないほど些細な事だった。

今回の落ち込みがやってきて、部屋で首を吊ろうと思った。
バスタオルを二枚結び、部屋にあるロフトのはしごを掛ける部分に括り付けた。

私はデパスを飲まなかった。飲めなかったのか、分からない。
というのも、幾度となく理由の曖昧な落ち込みがやってくる人生で、何度目かわからない絶望に失望したのだ。
デパスを飲めばこの気持ちが落ち着くのかもしれない。
でも、落ち着かせてどうする?
今死にたい気持ちで、終わらせたら良いじゃないか。
そう思うと、いつの間にか決意は固まっていて、マイスリー(睡眠薬)とお酒を飲み、今日中に死のうという気持ちで音楽を聴いていた。

バスタオルに首を通し、椅子を蹴って足を浮かせようとした。
意識が朦朧としている中でも、首への痛みと脳の血管が圧迫される感覚があった。
もっと意識を曖昧にしなければ、理性を失わなければ無理だと思い、一度ベッドの上に戻り、さらにお酒を飲んだ。

今冷静に考えれば、今から死のうと思うなどという友人からの連絡など、みすみす放っておくことは出来ないというのは想像がつく。
助けが欲しかったわけではない。死ぬなと言ってほしかったわけでもない。
それでも話がしたくて、友人に、今日死ぬ決意が付いている。と連絡を取ってしまっていた。
感謝を伝えたかった。酔って薬も効いていて、最後に。と、本当に好きな友人に連絡したのだと思う。
彼からしたら堪ったものではなかっただろう。心の底から反省している。
住所が分からないにもかかわらず、恐らく学校に連絡をして住所を聞き、通報してくれた。

まさかこんなにも大事になるとは思っていなくて、警察に事情を聴かれ保護されている間もずっと現実味がなかった。
意識が曖昧でも、迷惑をかけている事に謝りながら泣き続けていたのは覚えている。

彼が通報してくれていなかったら死んでいたのではないかと思う。成功していたらの話だが。それほど意志は固かった。

翌日、
別の友人が外に連れ出してくれて、死にたい気持ちは抱えながらも、デパスを飲んでなんとか家を出た。
彼も本当に良い友人で、私には勿体ない程の人格者だ。
色々な話をした後に、楽しめるか少し不安だったがカラオケに向かった。

彼が残酷な天使のテーゼを歌っているときに、歌声を聞きながら流れている映像を見ていた。私はエヴァンゲリオンを観たことが無かったし、あまり深い興味を抱いたこともなかった。それでもその時、その映像に対して深く感動した。キャラクターのデザインや作画、カット割りなど。この作品を観てみたいなと思った。

私は生理前の抑うつ状態にあるとき、何かをしたいと思う気力が無くなる。
世界から色が無くなったような気がするのだ。
それも気が付かない間に色が抜けている。
今日から生理前だ!何も楽しくない!というように明確な始まりがあるわけではない。
それでも、生理が来るとき、色が付く感覚だけは分かる。今回はそれだった。
それからすぐに、違和感を覚えお手洗いに行き確認すると、生理が来ていたことに気が付いた。

経験したことのない人からすれば、血が体外に排出される前と後というだけで、そんなにも感情に差が表れるのかと不思議だと思う。
もちろん個人差はあるため、ここまで身体と心に時差が無く、影響が出るわけではない人も居るだろう。


今回は友人と国家機関に多大な迷惑をかけてしまったことで、自分だけの問題ではないということを自覚し、大きく反省した。

友人には自分勝手に迷惑をかけたため、もう愛想を尽かされたのではないかと思っていた。
しかし、これから先同じような状況になったときに、少しでも自分で対処できるような方法を考えてくれと、たまには頼っていいと言ってくれた。

これまで幾度となく落ち込みを経験してきて、次に不安定になったときはこう考えてみよう。という事は常に考え続けてきた。
それでも今回死のうとしてしまったのは、そんな解決策や予防もすべて無に帰したような気がするほどの落ち込みだったからだ。
全て無駄だった。
これから先も同じことを繰り返すだけだ。
それなら今終わらせてしまおう。
と、冷静な判断が出来なかったのがひどい抑うつ状態なのだろう。

自らの本当は生きていきたいという意思とは反して、悪魔が感情をコントロールしていた。
毎度繰り返して分かっているはずなのに、感情の操縦桿を奪われているかのように、何も出来なくなってしまう。
(家族や友人や親しい人にも、この感覚を伝えることは難しい。理解出来ないほうが健康なのだから、分からないでほしい。それでも苦しみを分かってほしい。)

それでも、友人からの言葉を受けて、「無理なものは無理なんだよ」というのはあまりに自分勝手だと思った。
前述したとおり、自分の状況を八方塞がりだと諦めていたが、精神科で詳しく相談した上で、もう一度婦人科に行って低用量ピルを試してみるなど、方策を練ようと決意した。

また、普段の食生活や運動習慣も改めようと思った。
そのような基本的な習慣は、自分が思っているよりも落ち込みの度合いに大きく関係してくることに気が付いていた。
ここ最近、そのような基本的食生活や運動を軽く見ていて、不摂生であったのは事実だったからだ。

ここまで読んで下さった、同じような悩みを持つ方に何かしら良い影響があれば良いなと思っています。
もし、こんなことをしたら改善されたという体験があれば小さなことでもコメントして頂きたいです。



(今回の件で迷惑をかけてしまい支えてくれたあなたが、もしこの記事を見つけていたら、このような形で話を公開してしまってごめんなさい。本当に感謝しています。生きて、感謝を返していけたらいいなと思っているので、これからも末永くよろしくお願いします。)

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