ブルース・チャトウィン『ソングライン』進化論
ほとんどの進化論者は気候の変動が進化の原動力だと考える。
種というのは、概して保守的で、変化を受け入れたがらないものである。
愛情の薄れた夫婦のように、時々小さな補正をしながら、耐えきれない域に達するまで、惰性で現状を保とうとする。
特に必要がないと考える時には人間も変化を好まない。
変化が必要となる限界まで変化しないで済むようにしたがる。
社会の変化もできる限りしないようにしたがる。
しかし、変化しなければ生きていけない環境にいた人たちが、いつも一歩先んじて発展してきたのは確かな事実だということを認識することが必要だ。
変化を望まなかった大国だった中国が
歴史上において「眠れる獅子」と呼ばれてきたのは
多くの人口があり先進的な科学技術を用いなくとも
人海戦術で何とかできてきたからである。
日本の中でも危機的な状況になかった地域が
現在取り残されているような状況にあるのは
切羽詰まった危機感がなかったために
変革の必要性を感じなかったからだろうと思う。
逆に言うと、
現在発展している地域は
過去には過酷な状況にあったと
推測されるということだ。
気候の大変動が起こると、至るところで生息地が分断され、小さな繁殖集団が仲間と離れた地域に取り残される。
多くの場合、そこは本来の生息地から遠く隔たった場所であり、その環境で種を維持するためには、みずからが変化するほかない。
そうなったとき、種は潔くすみやかに、次世代への”跳躍”をとげる。
こうして生まれた新顔たちは、もはや昔の仲間からの交尾の誘いには応じない。
そればかりか、いったんこうした”隔離機構”が働いたのちは、遺伝的に劣化したり、新たに具えた特徴が失われたりといった退行はいっさい起こらない。
気候変動により生息地の分断が起こり
種の跳躍をとげた次世代においては
もはや退行するようなことはないという。
気候変動により適した跳躍をとげることができたということが、その後の存続に繋がるのだ。
ときには変化によって活力を得た新しい種が、元の生息地で再びコロニーを作り、先住の種にとって代わることもある。
さらには、新しい種が再び元の生息地での繁栄を極めることにもなる。
それほどにも生存する力が強いということだ。
隔離状態における”跳躍”のプロセスは”異所的種分化”と呼ばれている。
一つの種の間では無数の変異
ー体の大きさや皮膚の色の違いー
が見つかるのに、
次世代との間に介在する種はまったく見つからないことも、このプロセスによって説明がつく。
人間の起源を探っていくと、最後にはキマイラ(ライオンの頭、ヤギの体、蛇の尾を持つ伝説上の怪獣)にたどり着くことになるかもしれない。
その「跳躍」とは、中間的な存在を確認できないほどの大きな跳躍となる。そうしなければ生き延びることができないほどの困難があったということだ。
”跳躍”に不可欠な隔離は、移動に使われる道においても起こると言っていいだろう。
道とはつまり、羊毛を紡いで糸にするように、一つの領地を一本に線上にしたものだからだ。
生物の樹形図が数多く枝分かれして広がっていくように、隔離による跳躍がその樹形図の広がりを複雑にしている。
そんなことを考えるうち、”異所性”とアボリジニの創造神話との類似点にふと気づいた。
アボリジニのトーテムはみな、特定の地点でひとりきりで生まれ、そこから線上に国中へと散らばっていくのである。
その広がりはオーストラリア大陸を結び繋げているアボリジニの道のようだという。
どんな種もいつかは”跳躍”をするが、他の種よりも容易にそれをやってのける種もいる。
エリザベス・ウルバ(古生物学者)は僕に、アンテロープの二つの姉妹群、ハーテビースト亜科とインパラ亜科の系統図を見せてくれた。
これら二群は中新世に共通の祖先を持っていた。
ハーテビースト亜科にはヌーやハーテビーストが属しているが、これらの仲間は、乾燥地帯での食餌に適した特殊な歯と胃を持っており、過去650万年にわたって約40の種を生み出してきた。
一種のみで亜科を形成するインパラは、あらゆる気候に耐える力を持つ広食性動物だが、今日まで時に進化を経験していない。
進化はかつて、成功の証と考えられてきた、とウルバは言った。
今の僕たちはもっと正しく認識している。
成功者とは、存在し続けてきた者たちだ。
多くの跳躍を繰り返して存続できるものもいれば、
インパラのように強靭な生命力と適応力で跳躍による進化を経験することもなく存続しているものもある。
つまり
どのような経緯だとしても
今存在している者たちがすべて成功者ということだ。
私たち人間は、これからも存続することができる成功者でいれらるのだろうか。