レモンバーム17
飼うようになったねこのことについて書いています。野良猫のことも。
生きているうえで思うこと。
日々の生活で思ったこと。
人の命には限界があって、確実に人は死んでゆく運命にある。 なのに、人は明日も明後日もおそらく生きているであろうと楽観的に何も考えることなく今を生きている。 そうしないと恐ろしくて生きてゆくことができないということも事実だ。 でも命に限界があるという現実を深くよく考えてみると、せめてやさしくそして謙虚でありたいと思う。 限界が分かることで生きる目的が見えてくる人も多くいる。 でも私たちは確実に死ぬという限界は、実際に現実的にすでにあるのだ。 その限界が数量的に時間的
野良猫の灰色猫の後ろ脚の炎症。病院で注射。それから一日一回小さな薬を飲ませる必要があった。灰色猫はいつもゴハンの時間には来る。近づいて少し触れられる。 カリカリがみんなに行き渡ったところで美味しいササミのかけらにその薬を入れ込んで灰色猫に食べさせる。他の猫にも残ったササミを配る。
家族に冷たいのは甘えがあるから。 どうして子どもにも甘えるのか。 どうして妻に甘えるのか。 どうして母親のせいにして甘えるのか。 甘えることばかり。 指摘すると今度はキレてくる。 だから放っておくしかない。 距離をもって関わらないようにする。他人の方が全然いい。 家族の意味は何。
野良猫の灰色猫の後ろ脚が気になっていた。どうしようかと考えていたら時間が過ぎていた。毎日のゴハンと美味しいオヤツで灰色猫と仲良くなって逃げずに触れるようにもなった。今日病院に連れて行こうと決意しオヤツを食べている灰色猫にネットをかけて捕まえた。ケンカによる怪我が化膿。注射とお薬。
何だか汗かいて寝苦しいと思ったのは猫のひとみちゃんが足元でパールちゃんがお腹の横で寝ていたから。布団からはみ出て寝てしまった。 夜中ニャーとゴハンの催促。パールちゃんも「ゴハン」と言えるようになっている。「オカーカン」も。 朝も起きる時間が分かっていて目覚ましが鳴る直前に起こす。
何にせよ目的意識がハッキリとあるうちは輝くものが見える。けれどもその目的が自分の功績や欲望のためだけになっていく時にあれほど輝いていたものがだんだんと光る力を失っていく。資金力がどれほどあろうとそれを使うエネルギーが自分の内側から溢れるほどなければただの無駄使いに終わってしまう。
どうしてそんなに見てくるの? どこか変かな? よく考えると 帽子のてっぺんに虫よけオニヤンマ君を付けていたのだった。 その人はそのオニヤンマ君がホンモノのように見えて見惚れていたのだろう。 だから 今はバッグにオニヤンマ君を付けています。 見つめられないようにしたいから。
免許更新。講習で本題に入る前で半分の時間が経過。講師自身の感覚での話。自分勝手な解釈で言葉も乱暴。罰を受けないよう交通ルールを守る。ではなくてみんなが安心して生活できるようにお互い気遣っていきましょうといって欲しかった。細かい視点がなく具体性に欠け実際どうすればいいか言えてない。
避妊手術を終えて元の野良猫に戻った茶トラ母さん。 心配していた。 今朝のゴハンにみんなと一緒に来ていた。やつれた感じもなく仲良くやっている様子で安心した。 私の顔をチラチラ見て警戒はしていた。 今は保冷箱の上で日向ぼっこしている。 驚異の回復力。 やっぱり茶トラ母さんは強い。
野良猫たちに寄生虫の駆除薬滴下しなくてはと思っていた。夕方のゴハンの時に集まってきた黒猫3匹と灰色猫1匹がモグモグと安心してゴハンを食べている中で猫たちに触れながらも嫌がられることもなく滴下成功。トントン拍子でできてガッツポーズ。 ゴハンくれる人間として認識されていたおかげだね。
久しぶりに全身がカタカタ震えた。緊張と恐怖と使命感に挟まれて苦しんだ後の達成感と安堵感の際に全身がカタカタ震えた。ただただホッとした。高揚感までいくにはエネルギーが不足していた。その影響で腹が下った。もういい年だけれど繊細過ぎて自分でも驚く。でも上手くできてよかった。ありがとう。
えらい目にあった野良猫は人間を信用しない。すぐには懐かない。そんな野良猫の茶トラ母さん。避妊手術も終わりもう子どもを産まなくてよくなった。耳も切って保護猫の印もついた。これからは野良猫として自由に生きてほしい。人間はダメだったけれど猫のことは好きで信用できるみたいだった。またね。
「無理しないでね」「燃え尽きるよ」 という人は多分その人自身が物事において無理してやっているのだろう。私自身は決して無理ではなくむしろ夢中になってる上にかなり楽しんでいるというのに。人の感覚は人それぞれだから仕方がない。その人の言葉に飲み込まれることなく自分の生活をしていくだけ。
親からは何も褒められなかった。勉強を頑張っても部活を頑張っても当たり前というか無関心というか自分を超えてほしくない気持ちが先行するというか。話が通じないことも大きい。文脈ではなく単語で理解して勘違いで怒ってくる。怒っていて説明も聞かなくなる。飼い犬が亡くなった時の方が悲しかった。