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スマホを見すぎて、考える力を奪われる。

最近、noteを書きはじめて気づいたことがある。
それは、まいにちに「余白がない」ということ。

今日noteを書きたい!さて、何を書こうか。
そう思ったときに、書きたいことが浮かんでこない。
書きたい出来事があったとしても、そこに生まれる感情がとっても薄っぺらい。

“楽しい”ということにしても、何が楽しかったのか?どう楽しかったのか?が言語化できなくて、ただただ「楽しかったー!!」という言葉で終わらせてしまう。

わたしが読んでて素敵だと思う人たちは、小さな出来事でも、感情が乗ってるというか、その出来事をわたし自身も体験できるような読み心地がある。


なんでなんだろう。どうしてそこまで深く考えられるんだろう。

そう思ったときに気づいたのが、自分の「余白のなさ」だ。
この「余白」というのは、時間の余白でもあり、気持ちの余白でもある。

スマホに依存しているのか、現代病なのか。
「時間が余る」ということが気持ち悪くて、少しでもスキマ時間ができたら、それを埋めようとしてしまう。

洗濯物をしなきゃ。じゃあネットラジオを聞こう。
ちょっと駅まで。じゃあ音楽を聞いておこう。
トイレ行きたい。じゃあちょっとインスタ見ようかな。(これは汚すぎるから全力でやめたい)

そんなふうに、目や耳が空いてる時間があれば情報を取っていたくなる。
それが意味があることかどうかは関係なく。

きっとそのせいで、日々の出来事についてゆっくり噛み砕く時間がなくなってしまっているのだと思う。

本を読んでも、新しいレシピに出会っても、だれかと会話をしても。
そこで生まれた気持ちを自分の中に落とし込む前に、情報の海に流れていってしまう。


でも、こんな毎日って生きてる意味あるんだっけ?

スマホを手にする前の子ども時代は、もっと小さなことにもワクワクして、吸収できることがたくさんあったはず。

noteを書きたい、なにかを「発信できるひと」になりたい。
そう思っているのなら、かつての子ども時代のように、小さなことにワクワクして、吸収できる人じゃないと。
使える時間の全てをスマホに注ぎ込んでいるなんて、もったいない。

ながら時間を有効に使えば、もっと生産的になれる!という言葉をよく耳にする。
でも今のわたしは、「ながら時間」をムダにして、ひとつのことにじっくり向き合える人になりたい。

そして、毎日たくさんの思いを吸収して、たくさんワクワクして、それを誰かに届けられるようになりたい。

なんだかまとまらなくなってしまったけど、結論は

ムダにスマホ触らない。ぼーっとする時間(考える時間)を作る

ということ。
明日は今日よりワクワクできる1日にするぞー!




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