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プログラミングギャンブル中毒

仕事は面白くないし、残業も多くてしんどいし、いまだにやり甲斐を聞かれても答えられない。
でも、楽しい、脳汁が出る瞬間が少しだけある。
それが、僕が毎日仕事に行く理由である。

プログラムを始めたのは、研究室に配属されてからである。最初、先輩に教えてもらった時は、本当に後悔したことを未だに覚えている。これは、とんでもないことになったな、と。
それから、毎日、C言語と向かい合う日々が始まった。宣言、定義、変数、関数、for、if、switch文、あらゆる意味不明なモノで構成された文字列。
じっと、見つめてると、誇張ではなく、目が周り、頭がくらくらする日々であった。
容量が人より少し悪かった僕が、周りに追いつくには毎日、くらくらに耐えながら目の前の文字列に、周りより少し長く向かい合うことしかできなかった。休みなんて当然なく、週7研究室、毎日プログラミングを読む、書いていた。
この時は、脳汁なんて当然、出るわけもなく社会人になっても続けていると夢にも思っていなかった。
ただただ、苦痛であった。

でも、いつからだろうか。毎日、研究室からの帰り道、完成しなかったコードに対して頭の中で、あーでもない、こーでもない、と言いながら帰るようになった。
いつしか、風呂の中でも、寝る前に天井を見上げている時にも、完成しなかったコードに対して、頭の中で解を考えるように、日々になっていた。
そして、次の日に前日に考えを巡らせていた内容を実際に書いてみる。体感、8割は失敗する。ビルドすら通らない。ビルドエラーである。
ただ、残り2割の成功した瞬間が、たまらなく気持ちいい。まさしく、脳汁が出る瞬間である。ぼーっと、長いこと考えに考えて、ある瞬間スイッチが切り替わった実装を行い、ビルドが通り、実行する。この流れを一度でも体験すると、もう逃れられない。プログラミングを仕事にしてもいいかもな、と思った瞬間である。修士1年の冬頃、そう思った。


初めて直ぐぐらいに書いたクソコード

就活が近づき、どの会社に志望するか、決めないといけなくなった。自分が何をして、お金を稼いで生きていきたいのか、しっかり考えなくてはいけなくなった。
まず、自分が持っている物は何か、考えてみた。
当たり前だが、持ち物は、ほぼ0に近かった。就活を考えて、大学生してた訳ではなかったから。
じゃあ、どうしようか。自分のスペック的に社会人になって、完全に1から始める仕事はできないだろうと漠然と思っていた。
そうなると、今、研究室でやっていることを少しでも良いから活かせる職業が良い
→プログラミングやってるな→エンジニアになるか。少し楽しいし。

こうして、僕は就活をして社会人になった。
もちろん、思ってたより社会は甘くなく、自分が持ってたと思ってた能力は0に近いものだと、入社して直ぐに思い知らされ、今も苦労する日々である。
少しは楽しいと思っていたプログラミングも社会の納期の素早さにやられて、そうでもない気がしてきている。
ただ、やっぱり、”あの”瞬間がたまらなく楽しくてたまらない。

ぼーっと、考えに考えて、ある瞬間スイッチが切り替わった実装を行い、ビルドが通り、実行する。そして、脳汁。

今日も相変わらず、実装が終わらなかった。会社からの帰り道、気づけば、あーでもない、こーでもないとコードについて考えている。納期はすぐ背中まで来ている。

明日こそ、脳汁出ればいいな。キュイン、キュイン。


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