バイト募集の貼り紙

僕はラーメンが好きだ。

仕事の合間に昼ご飯とも夜ご飯とも言い難い食事をしにラーメン屋の暖簾をくぐる。

学生時代にラーメン屋でバイトをしていたこともあり、バイト募集の貼り紙がしてあるとついまじまじと見てしまう。

さて、時給はどれくらい貰えるのだろうか…?といった具合に。

今日もそんな風に、初めて行くラーメン屋でバイト募集の貼り紙を眺めていた。

するとこんな文言が目に入った。

「長所を伸ばし、短所はやらせない!そんな職場です」

ん?
何かが引っ掛かった。

短所はやらせない…???

きっと、のびのび働ける職場、アットホームな職場ということをアピールしたいのであろうが、
何かが違うと思った。

まず、文法的にもおかしい。

短所という言葉は、「やる」「やらない」という動詞には接続しないはずだ。

「得意なことを伸ばし、苦手なことはやらせない」
これであれば、内容はともかく文法的には問題は無いように思う。

些細なことでも1つ気になることがあると、全てに違和感を持ってしまう、
それがまさに僕の短所の1つだ。

話を戻す。

「短所はやらせない」という考え方は、
経営の手法としては極めて合理的に思える。

その人の苦手な仕事はやらせず、得意なことをやらせて伸ばしていければ、
そのお店や会社にとって損することは何も無い。

バイトをする本人にとっても、短所には目を瞑って得意なことのみをやらせてくれるのだから、
耳の痛い話は聞かなくてもいいし、何より失敗が無いので働きやすい環境ではあるだろう。

しかし、アルバイトという場を
「若者などの社会勉強の場」
「社会に出て働く前の助走をする場所」
「成長を促す場」
として捉えた場合には、少し話が変わってくる。

「短所はやらせない」ということは、
すなわち「短所の存在を認めてくれない」ということになりはしないだろうか。

そうすると、短所の存在は、本当はあるのに覆い隠されるということだ。

ちょうど、にきびやシミをコンシーラーで消してしまうように。

そうなると、どうなるか。

アルバイトが「社会勉強の場」として成立しうるのは、
「失敗が許されるから」であり、短所が露見してもまだ「アルバイトだから仕方ない」とある程度の粗相は店側も客側も許してくれるという土壌があるからだ。

短所はやらせない、短所の存在を認めないというのがアルバイトの場になってしまうと、

その短所が露見される機会を先送りにすることになる。

その人はそのアルバイトをしている期間は短所を見られずに済むけれど、
どっちみちそれがバレて、向き合わなければならないタイミングはやってくる。

「恥をかく」タイミングを先送りにするだけになるということだ。

学生などのまだ許される期間にミスをたくさんし、短所と向き合うことで人は成長するのではないか。

それを見なかったことにし、長所のみに焦点をあてても、きっと成長には繋がらない。

必死にシミを隠しても、社会に出るとスッピンになることを強要されるはずである。

言いたいことがまだある。

長所と短所なんてものは、完全に分離できるものではなく、表裏一体のものではないかということだ。

学生の頃はアマチュア屈指の長距離打者として鳴らし、鳴り物入りでプロの世界に入るも、パワーではプロの壁にぶち当たり、
学生の頃短所であったミート力を鍛えたところ、
プロでも指折りの巧打者になった。

なんてことは割りとあるのではなかろうか。

思えば僕も、ラーメン屋のバイト時代には、
「お前は危なっかしいから包丁を握るな」
と言われていた。

しかし、僕の今でも尊敬してやまない店長はチャレンジする場、失敗する場を与えてくれたし、

「お客さんからしたらバイトだろうが店長だろうが同じ店員で、同じ看板を背負ってる」

と言いつつも全力で僕の尻拭いをしてくれた。

そんな背中を見て、チャレンジ精神と、店長のためにもミスをしてはいけないという責任感を、
良い塩梅で身に付けることができた。

正直に言う。
「短所をやらない」
「苦手をやらない」
これは個人の自由だと思う。

絶えず進歩や成長を求められる社会なんて生きていて息苦しいからだ。

けれど、「やらないを自ら選ぶ」のと、
「やらせない」は同じではないと思う。

「やってみる場」を端から持たせないのは違うと思う。

僕も日々、生徒と一緒に学んでいく中で、
つい「英語は苦手だから今日はこれくらいにしておこうか」
と言ってしまう。

限界や可能性にこちらから線を引くことは良くない場合もあると知りながら。

無理させないことと可能性に蓋をすることのバランス感覚はとても難しい。

しかしそれはこちらもチャレンジだ。

苦手な教科だからといって取り組まないのも違うし、
You can do it!と声高に叫んで無理強いするのも違う。

その絶妙な境界線を攻め続ける。

それが教える者、導く者、伴走する者のあるべき姿だと思う。

たかがラーメン屋のバイト募集の貼り紙から大風呂敷を広げてしまった。

まあまあ美味しい店だった。

定番メニューの他にも、サイドメニューのチャーハンや唐揚げ、まぜそばなど、
興味をそそられるものがあり、途中まではまた来ようと思っていた。

しかし、その貼り紙を見てしまってから、味も接客も全く悪くなかったのに、
もう二度と来ないだろうなと思ってしまった。

些細なことだけで全体を把握した気になってしまうのが僕の短所ではあるが、
そこは見なかったことにして欲しい。


小野トロ





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