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「コミュ力無い」で悩んでいるあなたへ

「コミュ力」
ここ何年かでよく聞く言葉です。

コミュニケーション能力の略称とされ、
無いよりは有るほうが良い、とされているように思います。

最近は就職活動においてもこの言葉を聞くようになり、
面接でコミュニケーション能力を測って採用を行う、なんて話もよく聞きます。

果たして、この「コミュ力」とは何なのか。
そして、「コミュ力」は果たして必要なものなのか、「コミュ力」があることがそんなに偉いものなのか、
僕の考えを述べていきたいと思います。

ここまでの語り口や、わざわざテーマに選んで話していることからも、
僕がこの「コミュ力」というものに懐疑的である、否定的であることはお察しいただけるかと思います。

そうです。珍しく先に結論を述べますと、
僕はこの「コミュ力」は、
生きる上で必要不可欠なものでは無いし
ある人が偉いなんてことは無い
と思っています。

その理由を、まずはそもそも「コミュ力」とは何なのか、から考え、説明していきたいと思います。

まず、「コミュ力」とは何なのか、僕の考えを端的に表すワードとして
「迎合力」を挙げます。

「コミュ力」=「迎合力」、もっと簡単に言い換えると「合わせる力」と言っても良いでしょう。

この時点で「ああ、なるほどな、なんとなく言いたいことはわかった」
という方もおられるでしょうがご辛抱。

世間で流布している「コミュ力」とは、

色んな人とコミュニケーションを取り、1つの目標に向かって協働することができる力

といった巷で言われている定義に基づくものではありません。

実態はそんなもんじゃないので、騙されてはいけません。

世間一般で言われているところの「コミュ力」は、
どんなタイプ、年齢、境遇の人ともある程度「合わせる」ことができ、
波風立てず、目上の人を持ち上げ、理不尽も飲み込み、
相手の好きなことを自分も好きと言える、
そんな力のことです。

とことん相手に「合わせる」力のことです。

クラスの派閥やグループの空気に合わせる。
グループのボスのような人物の機嫌に合わせる。

サークルやゼミの雰囲気に合わせる。

会社の雰囲気に合わせる。
クライアントに合わせる。
社風に染まったフリをする。または本気で染まれる。

「染まり力」と言い換えることもできそうです。

さて、何かに似てると思いませんか?

そうです、少し前に流行り、定着した「空気を読む」「忖度」などと似た空気を持つ言葉ですね。

これら2つはそうとう昔から存在する言葉ですが、
最近また掘り起こされて流行、定着したと言えるでしょう。

「コミュ力」と「空気を読む」「忖度」
これらに共通することとしては、
どれもが現代に生きる僕達の「息苦しさ」に繋がっていることではないでしょうか。

少し話が逸れそうなので、
2つ目のテーマに移りましょう。

「コミュ力」=「迎合力」である、
そして「コミュ力」は「空気を読む」「忖度」に似ている、
というのが1つ目の僕の考えでした。

では次に、それが果たして生きていく上で必要なものなのか、について話していきます。

これまた結論を先に言うと、
全く必要無いとは言わないものの、
無いからと言って思い悩む必要は無い。

こうなります。
やや煮え切らない言い方になってしまったでしょうか。

つまりは「必要不可欠なものではない」ということです。

悩み苦しみ、憂鬱になったり、
必死になってゲットしたりするものではありません。

「就活で必要だから」
「学校や社会でうまくやっていく上では必要」
「時代がそれを求めている」

確かにそういった意見はあるでしょうし、事実としてそういった側面もあるでしょう。

1つずつ答えていきます。

迎合することでのし上がっていけてしまうような会社には、入る価値、居続ける価値は無いと思います。

学校や社会で「うまくやっていく」ことはそんなに大事でしょうか?
それが精神衛生上よろしくないのならば、限られた人たちと接する、或いは自分の内面に閉じこもっている方がマシ、と僕は思います。

時代がそれを求めている?
そんなものは目まぐるしいスピードで変わっていきます。
いっときの流行に惑わされて思い悩む必要なんてありません。

企業や社会が人材に求める能力は、時代によって変わっていくものです。

「やっぱりコミュニケーション能力が大事だよね」なんて時代はすぐに過ぎ去るでしょう。

なんでも上手に喋れてプレゼンできて、
相手を論破或いは納得できる人が、
優れているというわけではありません。

1つの要素であり1つの指標に過ぎません。

最近は知能は感じるけれど知性を感じないような人たちが偉そうに振る舞い、
僕達もそれがあたかも知識人なのだと思い込まされているような気がします。

上辺の「コミュ力」なんかよりも、
論理的思考やわかりやすく説明する力なんかよりも、

自分の内面に矢印を向けて、拙くても、借り物でない自分の言葉で話せる人のほうが、
とても尊いと思います。

そこに知性が宿るのだと思います。

だから「コミュ力無い」「コミュ障」で悩んでいる人。

全く気にする必要無いです。

上辺だけの力を身につけて勘違いして、
周りに馴染むだけの人生よりも、
ゆっくり時間をかけて、誰にも邪魔されない自己対話を、
自分だけの時間を作って閉じこもりましょう。

そうやって若い頃に醸成された思考体験が、
やがて花開く時が来ます。

大丈夫。
心配しないで自分の中に閉じこもりましょう。


小野トロ





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