#49★こんな気持ちが出てきた時は要注意!
何とも言えない気持ち悪さ
ここ数日、何やら自分の中に蠢く(うごめく)気持ち悪い感情が、身体中を這うような感覚があった。
なめくじが這いつくばった跡のような、ぬめ~っとした、じと~っとした、何とも言えない気持ち悪い動きや感触を彷彿とさせる。
それらの気持ち悪さを感じる度に、背筋がゾワっとしたり、体がだるくなる瞬間があった。
完全に体調不良になったら良かったのだけれど、いかんせん元気なのだ。倒れる予兆は全くない。疲れがたまっている感じもしない。適度に運動しているし、買い物がてら1時間の散歩もしている。
それでも、どよーーーんとした気持ちに、ふいに襲われる時があった。
ん?
これが世間で言われている、
五月病ってやつなのか?
30数年生きてきて、あまりに無縁だったもので、すぐには結びつかなかった。
春からの環境の変化や新しい人間関係に適応するのにストレスがかかり、心身共に疲れや不調が出始めるのは容易に想像がつく。さらに、やること多すぎるけどなんとか突っ走ってきた3~4月を終え、大型連休を挟んだら一気にやる気が失せてしまったり、自分が本当は結構無理していたことに気付いてしんどくなってしまうのも納得がいく。
たしかになぁ。
こどもたちも、夫も、4月からの新しい環境に慣れるまでには相当なストレスがかかっているように見えたもんだ。
と、いうことはだよ?
共感性やら相手の感情を汲み取る力やらが高めな私は、家族からのストレスを自然と受け取っていたのかもしれない。
この蠢くような気持ち悪い感情は、家族から勝手に受け取っていたストレスを流せていなかったのかもしれない。
そうだ。
4月を振り返ってみたら
「私が家族の充電所になっておきたい」「家はみんなにとって休まる場所であって欲しい」と何やら張り切って、ニコニコしていたのだ。
「私がイライラしている場合じゃない。私は家族を支えるのだ!!!」と誰にも頼まれていない使命感に駆られて、一人で心のはちまき巻いて、気合入れて日々過ごしていたのだ。
これは、良くも悪くも私の癖になっている。
誰にも頼まれていないのに
全力で気合を入れてサポートをし、気付いた頃には疲弊している。
結婚する前からもそういった傾向が強かったものの、母親になってからは輪をかけてそのパターンが色濃く出るようになっていった。
先程、良くも悪くも、と書いたけれど、誰かのために全力になれることも、思いやることも、本当に素晴らしいことだと思う。簡単そうに見えて、なかなか出来ることではない。それが自然と出来るというのは才能のひとつだ。
ただ、誰にも頼まれていないのに勝手に疲弊して、結果的にどよーんとなってしまうのは、あまりも不憫だ。もっと自分のことを大切にして欲しい、と客観的に感じてしまう。
時には、勝手に疲弊しているのに、誰かを責めたくなったり、誰かにこの頑張りを認めてもらいたくなったり、褒めてもらいたくなったりすることもあるのだ。
「私ばっかり…」「あなただって、もっと〇〇してよ」「私はこんなにしているのに、あなたは…」
こんな気持ちが出てきた時は要注意!
ここからは、自戒を込めて書いていく。
ここ数年、自分と向き合ってきて強く感じるのは、
「もっと〇〇してよ」の気持ちと「私はこんなにしているのに」は、【混ぜるな危険!】であるということだ。
「もっと〇〇してよ」と、「私はこんなにしているのに」は、分けて考えること。相手に伝える時にも、分けて伝えること。
そうしないと、伝え合う時間が、ぶつけ合う時間になる可能性が高くなるからだ。この、ぶつけ合う時間を何度も繰り返すことで、さらに気力も体力も消耗する。しんどさは雪だるま式に増幅してゆくのだからたまらない。
例えばの話、「もっと私のこと大切にしてよ!私はこんなに気を遣っているのに」と思ったとしよう。(というか、これ2年前の私なんだけどさ。苦笑)
「もっと私のこと大切にしてよ」と「私はこんなに気を遣っているのに」をごちゃまぜにして伝えた場合に、「え?大切にしているでしょ?てか、気を遣ってくれなんて頼んでないし。」と相手が感じたとする。
そうすると、言われた相手からすれば、「『大切にしていない』と勝手に判断された、もしくは『今のままでは不満』と文句を言われた」ことと「お願いしてもいないのに気を遣っていると言われても困る。なぜか怒られた、もしくは不機嫌になられた」ことが一気に押し寄せてくるわけだ。
もう、こうなってくると、「攻撃された、言い返さなきゃ。」「否定された、嫌だな。」「めんどくさい、話したくない。」「え、どうしたらいいかわからない、黙っておこう。」等の状態になりがちだ。
そんな状態の人に向かって、どんなに自分の要望や不平不満を伝えても、なかなか受け止めてもらえないのは目に見えている。(私自身の経験上、このケースは多かった。)
大切なことなので、もう一度書く。
「もっと私のこと大切にしてよ」と「私はこんなに気を遣っているのに」を分けて考え、分けて伝えること。
そして、相手に伝える前に一度、どうしてその要望や願望が出てきたのか、自分の言動の理由や動機や目的は何か、について自分で考えてみることも大切だ。(ひとりで考えるのが難しければ人に話してみるのも良き!)
さらに、
あなたにとってに「大切にされたと感じること」は何か
「こんなに気を遣っている」とは何を指しているのか、を自分の中で言葉にしておくことがとても重要である。
実際に、私が夫や母や友人達と話してきて感じたことなのだけれど、「大切にされている」と感じる言動はひとりひとりまるで違う。似ているような場合もあるけれど、具体的な行動に落とし込んで考えていくと、十人十色で異なってくるのだ。
ちなみに、私にとっての「大切にされていると感じること」は、「私に興味を持ち、関心を向け、言葉に耳を傾け、優しい眼差しで見守り、ありのままを面白がってくれて、言葉でもスキンシップでもコミュニケーションが取れること」である。(※スキンシップはパートナーと家族間のみ。って、書いてみると、なかなかわがままなリクエストかしらね。笑)
ただ、夫にとっての「大切にされていると感じること」は、「家を綺麗に整え、掃除をし、美味しい料理が並び、お疲れ様の気持ちが伝わってきて、俺や家族のことを常に考え、優先していること」なのだと、話し合ってきて知ったのだ。
そう考えると、実際に夫は、私のことも、子どもたちのことも本当に大切にしてきてくれたのだろう。「ありがとう」や「好きだよ」や褒める言葉はなくとも、行動で示してくれていたのだから。
私からしたら「大切にされるどころか否定ばかりされていた」と感じていたけれど、彼なりの「大切にする」をずっと体現してくれていたのだ。(それを「嬉しい」と受け取らなくても大丈夫!なんだけど長くなるのでまた次回!)
この前提の違いを知るだけでも、
ぶつけ合いから、伝え合いに
変わってくることがある。
「して欲しいこと」と「自分がなんでその言動をしているのか」は分けて考えること。どうしてその要望や願望が出てきたのか、自分の言動の理由や動機や目的は何かを考えること。自分の前提と相手の前提を確かめ合い、言葉にして伝え合うこと。
これらをするだけでも、心の持ち様はだいぶ変わってくると思うのだ。
……と、いうことらしい。
自分で書いてて、自分で納得したよ。
話は冒頭からだいぶそれてしまったけれど、なんだか今の私は、書く前と比べてだいぶサラッとしている。あの蠢くような不快感や、どよーんとした気持ち悪さが薄まったように感じる。
そうか。
今の自分に必要だったのは、アウトプットか。
自分以外の誰かのことばかり考えていると、時折『私』がいじけてしまう。結構かまってちゃんなんだよね(笑)
アウトプットする時間は、がっつり向き合ってくれるから嬉しくなるし、話を聴いてもらえたようでウキウキしてくる。
「いいよ!好きなだけ、書いていいよ!」と言ってもらえると、大きな広場に連れていってもらったような解放感があり、広場をかけ回るような勢いで文字を書き始める。
「わぁぁあい!!!!」
今日は好きなだけ、書かせてあげよう。
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